神は、一人の人から

すべての国の人々を造り出して、

地の全面に住まわせ、それぞれに

決められた時代と、その住まいの境界とを

お定めになりました。

これは、神を求めさせるためであって、

もし探り求めることでもあるなら、

神を見いだすこともあるのです。

確かに、神は、

私たち一人一人から遠く離れてはおられません。私たちは、

神の中に生き、

動き、また存在しているのです。

使徒行伝17:26-28

聖書のことばは、人間の醜さも弱さも、

そのまま書いて居る。

永遠のベストセラーだ。

人間の弱さ醜さ、何度でも同じ失敗をする

どうしようもない愚かさを、

そのまま実に簡潔に書いてある。

繰り返し繰り返し、

また始めから終わりまで、

辛抱して読み通すなら、

そこに貫かれている

変わらない神からのメッセージ、それは、

熱いたぎるような、わななくような、人間への愛と

忍耐の神の姿

偉大な全能者、道、真理、いのちである方が、

そのすべてを測り知ることは

とうてい出来ない方である神が、

チリに等しい人間をこれほどに愛するとは、

聖書を書くことに用いられたユダヤ人、彼等の歴史も、

本当に不思議だ。

まだ印刷機がない時代、

彼等は定められた儀式と方式との中で、

一字一句も間違えないように、聖別された環境の中で,

聖別された人々が、

細心の注意の中で、書き写し、引き継ぎ、継承していった。

人間が作ったものだったら、

きっと長い歴史の中で、いつか古い文書として葬り去られて、

忘れられていっただろう。

この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。使徒行伝17:24,25

トップに戻る