渡辺 聡君のこと 

  渡邉聡君の記念会を終えて          岡田五百子

  聡君が天に召されてからちょうど一年目の二月二十八日に教会で

  記念会をしていただきました。平日にもかかわらずお兄さん夫婦を

  はじめ、たくさんの人に出席していただき、愛に満ちた記念会をし

いただいたことを心から感謝しています。花に囲まれた写真の

中の聡君がうれしそうに笑っているのが心にしみいるようでした。

  二月二十八日が近づくにつれ、昨年の最後の日々がまざまざと

  よみがえってきて、胸がぎりぎりと痛むような日々が続きました。

  聡君を失うことは心がもぎとられるようで、耐えられないと思ってき

  ましたが、記念会でたくさんの涙を流したら、これをひと区切り

  として、前を向いて歩いてゆこうという気持ちになりました。一年と

う月日が徐々に心を癒してくれたのです。それは無論、周囲で

  暖かく支えてくださった教会の皆様の祈りがあったことをあらため

感謝しています。

  もうひとつは聡君が長い間お世話になった東埼玉病院でボランテ

  イアを始めたことも大きな力になっています。聡君と同じ筋ジストロ

  フイーを病み、家族が誰も面会に来てくれない患者さんがいるこ

  とを知って、昨年の五月から通い始めました。二名担当していま

  すが、ひとりの人は機動戦士ガンダムをはじめとするアニメにしか

  興味がなく、他のことは一切受け入れません。初めは何を話しか

  けても「べつに」か「まあ・・」としか答えず、全く取り付くしまがありま

  せんでした。彼に比べて、聡君がどんなに豊かな精神生活を送っ

  ていたかということに気づきました。信仰を持ち、絶えずイエス様と

  心で対話していたことを始め、宇宙や気象、歴史に興味を持ち、

  鉄道マニアでもあり、政治にも強い関心をもっていつも日本の

  将来を憂い、世界の紛争地域、特にイスラエルとパレスチナの

  問題を憂い、私に向かってたくさんの演説(?)をとうとうとしてくれ

  ました。その姿勢はいつも弱者の味方であり、大きな災害が起き

  ると、乏しい障害者年金の中から義援金を送ろうとしていました。

  聡君は短い人生であったけれども、実に豊かな人生を送ったのだ

  と、気づいた時とても慰められました。

  聡君がこんなことを言ったことがあります。

  「先生、僕が天国に行ったら歩けるかな?」

  「もちろん、歩けるし走れるし、なんだってできるよ」

  「じゃ、先生が天国に来た時は、僕がイエス様のところへ先生を

  つれていってあげるからね」

  そんな会話を思い出すたびに、胸がほのぼのとあたたかくなって、

  その日に向かって私も懸命に生きていこうと思うのです。

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 これは、去年、記念会のあとで、岡田先生が、書かれたものです。

 

 

   昨年は、僕の為に天の神様に祈り続

けて頂いた事を感謝しています。

それかXmasに素敵なグリーティング

カードを送って頂き有難うございました。

   今年も元気で頑張れる事を祈って

います。

   今年もよろしくお願い致します。

                   渡邉 聡

  2004年に、彼が、私にくれたヤフーの

メール・カードである。彼は、もうすでに、

指の先をほんの少ししか使えない、

身動きできない中で、特別仕様の

パソコンを使って、、

  しかし、これだけ書くのに、何時間も

かかって 書いてくれたのだ。その彼を思う

と、私は一体何をやっているのだ。

と主の前に、恥じ入るばかりである。

  どうか、主の栄光が表わされるために

  用いられることを祈りつつ。

  

   聡君が召されて、もうすぐ一年になります。2月28日の午後2時から教会で、記念会をして

くださることになりました。お兄さんも休みをとって、出席されるそうです。もしご都合がついたら

ご出席ください。  先日、東埼玉病院の廊下で、聡君を可愛がってくれた男の看護師さんと

一年ぶりに会いました。病棟が違ったので会う機会がなかったのです。

  「もう一年になるかあ・・・。あいつはもっとしぶとく生きると思っていたのになあ」

  「僕はあいつに精神的に看護してもらっていたようなものなんですよ。いいやつだったから、

絶対天国にいるねえ」  などとしみじみ話して、男泣きされました。

一年過ぎても泣いてくださる人に、私も涙が溢れました。   2006年2月9日

 

  メールありがとうございました。埼玉病院に通っています。二人の方を訪問しているのですが、ふたり

とも非常に興味関心が狭くて、話題に乏しく、聡君と同じ病気で、同じように人工呼吸器で生き、

パソコンを使っていますが、とても狭い世界で生活しています。

 長い間病院で生活し、面会者もなく、忙しい看護師さんとは用件だけの会話をしていると、刺激に

乏しく こんなにも様々なことに興味を失くしてゆくのかと、とても不憫になります。

 それに比べたら、聡君は神様のことから、政治、経済、広く世界情勢にまで視野を広く持ち、

インターネットで様々の情報を集めでいつも、日本のこと世界のことを深く考えていました。それから

歴史や科学、宇宙についても深い知識を持っていて、それらを私に語るのを何よりの楽しみにして

いたことを思うと、短い人生だったけれど、なんと豊かで密度の濃い日々を生きたことかと思います。         

2006年7月15日

 

  聡君は点滴がとれました。心臓の検査の結果、状態がよくなっていたそうです。今、とても安定して 

います。本当に神様が聡君の命を守っていてくださり、驚くばかりの奇蹟が続いています。

  先日、聡君が僕の貯金を下ろしてと言いました。何を買うのと問うと、新潟地震の被災地に義援金

を送りたいというのです。送り先の口座番号もインターネットで調べていました。初め3万円も送るとい

うので、もう貯金も残り少なくなっているし、聡君が困ることになるから、私も出すから1万円にしなさい

と納得させました。

  私も何かしなければと思っていたところなので、聡君に背中を押されるようにして、早速送金しました。

受領証を見せると『 僕は前は自分のことしか考えられなかったけど、今は人のことも考えられるように

なってうれしい』 と満面の笑顔でした。 私も人の痛みを自分のこととして考えられるようになったこと

がとてもうれしくて、 『 被災地の人も喜ばれるけれど、イエス様が一番喜んでくださるよ』 

と言ったらうれしそうでした。                          2004年10月31日

もうじき2年、2月28日だった。

彼は、てっちゃんだった!ベッドから一歩も出られない身でありながら、日本全国の鉄道について、実によく知っていて、駅の名前も、列車の名前も、鉄道の雑誌が何より彼を喜ばせ、写真を見ながら、これは何処に、ある線で、どんな歴史の列車で、どこから何処まで走る。、、とか、、、、実によく知っていた。そして、まるで乗ったことがあるように、その設備や、駅名や、話し出すと興奮して、目を輝かせて、おしゃべりし、飽きないのだった。

  

  渡辺聡君のことです。いつもお祈り心から感謝します。

  聡君は、先週いよいよ心臓が鼓動がめちゃくちゃになって、もう

駄目かと?医師が、電気ショックを与えることをさせてほしいと言

われて、それで駄目になるかもしれないけど、もしかすると、

それで脈拍が安定することもあるということで、結果、安定する

ほうになって、またまたはらはらさせながら、一応安定している

そうですが、岡田先生が大宮のビジネスホテルにとまったりし

ながら、金曜は夜一晩病院で付き添って泊まられて、そのとき、

お兄ちゃんも来て、聡君は、

  『お兄ちゃん、僕のたった一人の肉親、居てくれてよかったよ。』

  と言うと、 『いいお兄ちゃんでなくてごめんね』と兄、

  『でも今は良いお兄ちゃんだから良いじゃん』  と聡君が言う

と、お兄ちゃんがベッドの横で、号泣していたそうですが、

  その夜は、岡田さんが泊まり、次の土曜夜は、お兄ちゃんが

一晩付き添ったそうです。岡田さんが付き添って泊まった夜、

頭に手を当てさせて、『 賛美歌を歌って、それを聴くと僕

安心するんだ。』と言い、平安な顔で、眠り、目が覚めたとき、

  『僕、夢を見たよ、光の中にイエス様が立っていた。そして何も

心配しなくて大丈夫だよ。』って言われているようだった。と

笑顔で平安そのものの中で言ったそうです。お医者さんは、

筋ジスの子供で、このような経過をたどる例を見たことが無い。

と今までも驚かれていましたが、

  今回も、見守る人々が感動しながら、すごしているそうです。

  岡田さんは、この一連の経過を見て、

  『 私自身が、本当に感謝、感謝なの。』 といわれていました。       

 これは、私が祈りをお願いしたMLへのメールである。 

                           2005年2月22日

   

  

彼の、教師また、友、母となって、彼のところに通われた、

岡田五百子姉の書かれたものである

渡邊 聡君が召されるまで

 昨年の2月、それまで安定した状態で過ごして聡君が突然高熱を出しました。

検査したところ白血球が正常値の5分の1にも減少していることがわかりました。医師より深刻な状態であり、

5月の誕生日を迎えるのは難しいでしょうと宣告されました。

しかし輸血などの懸命な治療とたくさんの人々のお祈りに支えられて、白血球の数値がどんどん改善し、

医師より「聡君の生命力には脱帽しました」と言われるように奇跡的に回復することができました。

 それから1年間、時々心臓の状態が悪くなることがあっても、

そのたびに乗り切り一日一日を喜びに満ちて過ごすことができました。

しかし今年の2月に入って、医師より心臓の機能がもう限界にきている、

いつ停止するかわからない状態だと告げられました。

覚悟はしていたつもりでしたが、へなへなと崩れてゆくような衝撃を受けました。

強心剤などの点滴をしつつも聡君は元気に過ごしていましたが、

だんだん心拍数が多くなり、1分間に120から140にもなり、

不整脈も頻繁に起きるようになってきました。

私は大宮に泊まり、できるだけ長く聡君に付き添うようにしていました。

 2月18日、まだ大宮にいる時に病院からの電話で、聡君が危ないと告げられ、

急遽、病院に駆けつけました。

聡君は心臓の痛みを訴えて、非常に苦しんでいました。尿が出なくなり、

血圧も50台に下がっており、時には測定できない状態でした。

苦しみのために体中を痛がり、足をさすって、腰をさすって、胸をさすってと訴え、

私の手が2本では足りないくらいで必死にさすり続けました。

この状態では死を迎える心の準備をする余裕もなく、このまま召されるのは

とても耐えられない思いで、

私は教会やクリスチャンの友人達に聡君が苦しまずに、

平安のうちに召されますようにとの祈りを依頼しました。

夕方の7時ごろ、心拍数は170を超え、医師が

「このままでは心臓が停止する。そのため除細動のためカウンターショックを試みる、

しかし弱っているから、そのまま死亡するかもしれないから、了承してもらいたい」と言われて、

私は病室から出されました。

一人で立っていられない思いで、震えながら祈りつつ私には長い時間が過ぎる

と医師が笑顔で

「成功しました」と病室から出てこられたのです。

病室に入ると聡君も先ほどまでの苦しみは嘘のように笑顔になっていました。

心拍数は80台になっていました。すっかり痛みもなくなっていました。

その夜私は病室に泊まることにしました。

夜9時ごろにはお兄さん一家も到着されました。その夜、

聡君はお兄さんと共通の思い出がある子どもの頃の話を楽しそうにしていましたがそのうち

「兄貴、僕は兄貴がいてくれてよかった。

兄貴がいてくれたから僕は今まで生きてこられたんだ。

ありがとう。だってたったひとりの肉親だもの」と言いました。お兄さんが

「僕はいい兄ではなかったから・・・」と言いますと、

「今はいい兄貴だよ。今いい兄貴ならそれでいいんだよ」と答えたのです。

お兄さんは声を上げて泣いていました。それから

「兄貴、がんばってね。無理はしなくてもいいけど、僕のぶんまでがんばってね。

僕はずっと応援しているから」

これらの言葉がどれほどお兄さんの心を揺り動かしたことでしょう。

泣きながら聡君の手をしっかり握りました。

「ああ、暖かい手だ。いい気持ち」と聡君は満面の笑顔でした。

後からお兄さんは初めて聡の手を握りましたと語ってくれました。

お兄さんの家族が11時ごろ帰られても、聡君は眠らず私に

「先生、頭をなでながら賛美歌を歌って」と言います。

私が聡君の好きな賛美歌や聖歌を歌ってあげると、

「ああいい気持ちだ。こうしてもらうと一番安心する。先生の手はまるで神様の手みたいだ。

きっとイエス様が一緒になでてくださっているんだね」

「僕は先生に出会えて幸せだった。先生は僕の本当のお母さんよりも、

お母さんだった。ありがとう。でも、こんな息子でごめんね」

「そんなことないよ。聡君は先生の大切な、大切な息子だよ」

「うれしい。うれしい。おーおー」と声をあげて泣きました。無論私も一緒に泣きました。

お兄さんにも私にも、一生の宝になるような言葉を遺してくれたのです。

その夜は一睡もせず、聡君の頭をなでながら、賛美歌を歌い続けました。

少しうとうとしていた聡君がふっと目を覚ますと

「今、光の中に復活のイエス様が立っていらっしゃる姿が見えた。

きっと僕に何も心配しなくていいよ。安心していていいよと言ってくださったんだね」

と言いました。

翌日も穏やかに過ごすことができました。医師から

「この病気の人は昨日の時点で命の残量は0でした。こんなに生命力が強い人は

初めてです」と言われ、看護師さんたちからは

「奇蹟の生還だね。病棟の伝説の男になるよ」などと言われました。

ただ前日の朝まで飲むことができていたのに、電気ショックを受けてからまったく

水分を嚥下できなくなっていました。

液体の総合栄養剤を飲んで、栄養を摂ってきた聡君にとって、

胃に何も入れることができず空腹感や口の渇きを強く訴えるようになりました。

そこで好きな飲み物を口に含ませては吐き出すことで空腹感をまぎらすようになりました。

ココア、ミルクテイ、様々なジュース類、お茶など次々と要求し、口に入れてあげると

「ああおいしい」と楽しんでいました。その夜と次の夜はお兄さんが泊まってくださいました。

きっと昨夜の言葉がお兄さんを泊まらせたのだと思いました。

ところが翌日から強い不安感が出てきました。

死の淵まで行った恐怖感がよみがえってきたのか、

そばを少しでも離れると怖がり、泣き出すようなこともありました。

絶え間なく飲み物を欲しがり、合間には

「足を揉んで、背中をさすって」と要求します。

飲み物を口に含んでいるか、体に触れていてもらわないと

生きている実感がないかのようでした。

私は毎日飲み物を山のように買いこんで、病院に行きました。

一分も息をつげないくらい聡君の要求を満たすのに追われました。

それでも少しずつ精神的に落ち着いてきて、不安感が薄れてきた時、

私は過労で高熱を出してしまいました。

2月26日と27日と私は病院を休んで寝込んでしまいました。

聡君が寂しがっているのではないかと気が気ではなく明日は何としても

病院に行こうと準備していた夜中、

病院から聡君の容態が急変したとの知らせがきました。

もう電車はなくどうすることもできずにうろうろとしている間に28日の午前3時17分に

息を引き取ったと知らせがきました。

最後の2日間をそばについていてあげられなかったことが辛くて辛くて

胸がきりきりと張り裂けそうでした。

お兄さんはたまたま仕事で都心にいて、臨終に間に合ったのです。

その様子を聞くと、しばらくは苦しみながらなにかうわごとを言っていましたが、

そのうち、宙を見つめながら

「渡邊 聡です」と名乗り「僕を取り去り(地上から)給え。アーメン」

「さようなら」と言って息を引き取ったそうです。

あたかもそこに神様がいらっしゃって話しかけているようだったと

お兄さんは深く感動しておられました。

一時は死を恐れ、不安にさいなまれていましたが、最後は見事に死に打ち勝ったのです。

そして迎えにきてくださったイエス様に挨拶をし天のみ国へと召されて行きました。

私は臨終に立ち会えなかったことが、辛くてたまりませんでしたが、お兄さんが間に合って、

それが神様の深いみこころであったと今は思えるようになりました。

私が通っている教会で葬儀をしていただきました。

前夜式(通夜)でも葬式でも、式の終わりの遺族挨拶でお兄さんは臨終の模様を

涙と共に話されました。

それは参列者に大きな感動を与えました。それからお兄さんは

「聡が18日に死ななくてカウンターショックで命をとりとめ、それからの10日間は

僕と聡が本当の兄弟になれた恵みの時でした。僕は聡に救われました。

これまで聡に持っていた聡への負い目や重いかせからようやく解放されました。

僕は新たに人生を歩みだすことができるような気がします」と深い感動と感謝をもって

話されたのです。

式では聡君の愛唱賛美歌として聖歌の610番を歌っていただきました。

この歌をうたうと、心が安らぐと言って好きだったのです。

3番の歌詞に

最期の息引きとる時も なが声を聞かまほし

  とこ世の朝覚むるときには ともに歌わんみさかえを

  そばちかく おらせたまえや そばちかくとこしえに

とありますが、聡君の最期はこの歌のままであったと思います。

                             

あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。

あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。

ことばが私の舌にのぼる前に、

なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。

あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。

そのような知識は私にとって、あまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。

私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。

私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。

たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられます。

神よ。あなたの御思いを知るのは

なんとむずかしいことでしょう。

その総計は、なんと多いことでしょう。

それを数えようとしても、それは砂よりも多いのです。

私が目ざめるとき,私はなおも、あなたとともにいます。

神よ。私を探り、私の心を知って下さい。

私を調べ、私の思い煩いを知って下さい。

私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、

私をとこしえの道に導いて下さい。      

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。 詩篇23:4,5 トップへ戻る