渡辺 聡君のこと
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この病気になって苦に思ってない。 この病気のお陰で、神様に出会えた。 今は幸せの方が多い。この病気の苦しみなんて たいしたことはない。 負けてたまるか。 親より長生きしたい。証し人になりたい。 死ぬようなことがあっても、天国への新たな道だ。 イエスさまのこと言ってると胸が熱くなってくる 体がもえる。 生きる力が湧いてくる。神様のこと信じている心の中に 光りが降りそそいでいる。あふれている。何でだろうと思う。 最近こわいものが無くなってきた。 こわかったものもこわくなくなった。 こんなことで終わることはない。生きてゆく。 最近特に力が満ちあふれてる。やる気が出てきた。 でも、パソコンって大変・・・・(聡君のことば) 岡田姉と一緒にお見舞いに行った日、聡君の顔が今までにない輝きをしていて びっくりしました。 顔色は良く、体全体の栄養分が顔に集まっているのかしらと 思いました。前に お見舞いに行ったとき、カラオケを聴きに行く為二人の 看護師さんが聡君を ベッドから 移された時足の細さにびっくりしました。 聡君の動かせるところは、指二本で、絵を描くことだけでした。 その聡君の顔が 輝いていたのは岡田先生が側に来てくれたこと、 そしてパソコンが導入され自分の意志を表現し他の人にも伝えら れるようになったからと思いました。 たった二本の動く指、パソコンが聡君の視野を広げてくれていました。 大きな力が聡君に与えられ生きる力がみなぎっている聡君を見て、 神様の御業のなさる大きな力を感じました。(牧師夫人のひとこと)
聡君が亡くなって、五年が過ぎた。進行性筋ジストロフィーで 身動きできない彼だったが、亡くなる十日前主治医から 「命の 残量は0」 といわれながら、奇跡的な快復を見せ、今までほとん ど話もできなかった兄上との和解と喜びの時を過ごして後、 天に凱旋して行ったのだった。その兄上は、 「 生きる 」ということに対して、様々な想いが彼にはあった。 これから先 彼の想いを引き継いで 頑張って行きます。と語られて いた。その最後の時間で、僕は救われた。彼の手を初めて握った。 最後の時を、見えない方と、話しをして、正に喜んで、お願いします。 と新しい道に、旅立っていった彼、今は自由に走り回っているだろう! 天で逢える時を、楽しみに、兄上とご家族の祝福を祈りつつ |
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前略 岡田先生お元気ですか?この前先生から貰った手紙で先生のお母さんが亡くなった 事を知り非常に残念です。一度お会いしたかったなあ でも先生元気を出してください。 人は皆いつかは死がおとずれます。それは悲しいことです。でも聖書にはこう書かれて いますたとえ死んでも魂は永遠に滅びる事はないと、そしてイエス様が私達の おおいなる父、主のもとへ光の道で導いて下さりそしてこの世の全ての苦しみ痛み 悲しみそして罪からも、とき放ち永遠の安らぎをあたえて下さると。だから僕は死には 恐怖は有りません。だって 主やイエス様がおられそしてまたみんなに会えるのだから。 最後に僕の好きな言葉一つ 「私はあなたの側を離れないどんな事が有ってもたとえ死ぬ時でさえも」 平成10年8月26日 草々(聡君のハガキより) |
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昨年は、僕の為に天の神様に祈り続 けて頂いた事を感謝しています。 それからXmasに素敵なグリーティング カードを送って頂き有難うございました。 今年も元気で頑張れる事を祈って います。 今年もよろしくお願い致します。 2004年に、彼が、私にくれたヤフーの メール・カードである。彼は、もうすでに、 指の先をほんの少ししか使えない、 身動きできない中で、特別仕様の パソコンを使って、、 しかし、これだけ書くのに、何時間も かかって 書いてくれたのだ。その彼を思う と、私は一体何をやっているのだ。 と主の前に、恥じ入るばかりである。 どうか、主の栄光が表わされるために 用いられることを祈りつつ。 |
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聡君の告別式で、遺族代表として語られた兄上の言葉を、聞き取りメモから、、、 「最後、自分で自分のために祈っていた。 『 渡辺 聡、ここにいます。われをとりさりたまえ!アーメン さようなら 』 と言った。 毅然として、ひとりの男の最後だった。 ずるいなー 二人母さんが居る (岡田さんのこと) と思った。 脈拍が 200前後 になってしまい、一か八かの治療で、 カウンターショックを 受けた後、奇跡の快復で、 60 前後に 落ち着いた。 気管切開をされて後も、普通は、声が出なくなるのだけど、 参考にと、医師達が見に来るほど、大きい声でしゃべった。 命の残量は、0だ! と言われながら それから、10日間生きた。 その間で、僕が救われた!手を握ったのは、大人になってから、初めてだと思う。 『みんなに、ありがとう、気持ちいい、おいしい!』 (飲み込めないけど、口に含ませてあげると、) 等 語っていた。 僕は、表現の仕事をしている(声優)けど 素直に応援できる。 聡の分も生きたいと思う。 僕は、最後で、弟に 救われた。 彼の人生は、良かったんだ。と思えた。 亡くなる4日前の 写真が語っている。 僕が撮った写真 喜びに輝いてるのを、見て欲しい。 奇跡の10日間で、「自分の分までがんばってくれ」 と素直に言える、聡のひとことで、 僕は癒されました。僕は、テレビの仕事 でも それはできないと思う。」 2005年3月3日 彼は、幼少の時進行性筋ジストロフィーを発祥し、不治の病に身体の自由を奪われながらも、 29年に一寸欠ける人生を懸命に生き抜きました。 長い年月ベッドに囚われた生活ではありましたが、たくさんの人達と出会い、支えられ、 この上ない人生を送ることができたのだと、私は確信しています。2005年5月(兄の言葉より) インターネットで様々の情報を集めでいつも、日本のこと世界のことを深く考えていました。それから 歴史や科学、宇宙についても深い知識を持っていて、それらを私に語るのを何よりの楽しみにして いたことを思うと、短い人生だったけれど、なんと豊かで密度の濃い日々を生きたことかと思います。 2006年7月15日(岡田先生の言葉抜粋) |
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聡君は点滴がとれました。心臓の検査の結果、状態がよくなっていたそうです。今、とても安定して います。本当に神様が聡君の命を守っていてくださり、驚くばかりの奇蹟が続いています。 先日、聡君が僕の貯金を下ろしてと言いました。何を買うのと問うと、新潟地震の被災地に義援金を送りたいというのです。送り先の口座番号もインターネットで調べていました。初め3万円も送るとい うので、もう貯金も残り少なくなっているし、聡君が困ることになるから、私も出すから1万円にしなさい と納得させました。
私も何かしなければと思っていたところなので、聡君に背中を押されるようにして、早速送金しました。
受領証を見せると『 僕は前は自分のことしか考えられなかったけど、今は人のことも考えられるように なってうれしい』 と満面の笑顔でした。 私も人の痛みを自分のこととして考えられるようになったこと がとてもうれしくて、 『 被災地の人も喜ばれるけれど、イエス様が一番喜んでくださるよ』 と言ったらうれしそうでした。 2004年10月31日 |
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もうじき2年、2月28日だった。 彼は、てっちゃんだった!ベッドから一歩も出られない身でありながら、日本全国の鉄道について、実によく知っていて、駅の名前も、列車の名前も、鉄道の雑誌が何より彼を喜ばせ、写真を見ながら、これは何処に、ある線で、どんな歴史の列車で、どこから何処まで走る。、、とか、、、、実によく知っていた。そして、まるで乗ったことがあるように、その設備や、駅名や、話し出すと興奮して、目を輝かせて、おしゃべりし 、飽きないのだった。 |
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渡辺聡君のことです。いつもお祈り心から感謝します。
聡君は、先週いよいよ心臓が鼓動がめちゃくちゃになって、もう
駄目かと?医師が、電気ショックを与えることをさせてほしいと言 われて、それで駄目になるかもしれないけど、もしかすると、 それで脈拍が安定することもあるということで、結果、安定する ほうになって、またまたはらはらさせながら、一応安定している そうですが、岡田先生が大宮のビジネスホテルにとまったりし ながら、金曜は夜一晩病院で付き添って泊まられて、そのとき、 お兄ちゃんも来て、聡君は、 『お兄ちゃん、僕のたった一人の肉親、居てくれてよかったよ。』 と言うと、 『いいお兄ちゃんでなくてごめんね』と兄、 『でも今は良いお兄ちゃんだから良いじゃん』 と聡君が言う と、お兄ちゃんがベッドの横で、号泣していたそうですが、 その夜は、岡田さんが泊まり、次の土曜夜は、お兄ちゃんが 一晩付き添ったそうです。岡田さんが付き添って泊まった夜、 頭に手を当てさせて、『 賛美歌を歌って、それを聴くと僕 安心するんだ。』と言い、平安な顔で、眠り、目が覚めたとき、 『僕、夢を見たよ、光の中にイエス様が立っていた。そして何も 心配しなくて大丈夫だよ。』って言われているようだった。と 笑顔で平安そのものの中で言ったそうです。お医者さんは、 筋ジスの子供で、このような経過をたどる例を見たことが無い。 と今までも驚かれていましたが、 今回も、見守る人々が感動しながら、すごしているそうです。
岡田さんは、この一連の経過を見て、
『 私自身が、本当に感謝、感謝なの。』 といわれていました。 これは、私が祈りをお願いしたMLへのメールである。 2005年2月22日 |
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彼の、教師また、友、母となって、彼のところに通われた、
岡田五百子姉の書かれたものである
渡邊 聡君が召されるまで
昨年の2月、それまで安定した状態で過ごして聡君が突然高熱を出しました。
検査したところ白血球が正常値の5分の1にも減少していることがわかりました。医師より深刻な状態であり、
5月の誕生日を迎えるのは難しいでしょうと宣告されました。
しかし輸血などの懸命な治療とたくさんの人々のお祈りに支えられて、白血球の数値がどんどん改善し、
医師より「聡君の生命力には脱帽しました」と言われるように奇跡的に回復することができました。
それから1年間、時々心臓の状態が悪くなることがあっても、
そのたびに乗り切り一日一日を喜びに満ちて過ごすことができました。
しかし今年の2月に入って、医師より心臓の機能がもう限界にきている、
いつ停止するかわからない状態だと告げられました。
覚悟はしていたつもりでしたが、へなへなと崩れてゆくような衝撃を受けました。
強心剤などの点滴をしつつも聡君は元気に過ごしていましたが、
だんだん心拍数が多くなり、1分間に120から140にもなり、
不整脈も頻繁に起きるようになってきました。
私は大宮に泊まり、できるだけ長く聡君に付き添うようにしていました。
2月18日、まだ大宮にいる時に病院からの電話で、聡君が危ないと告げられ、
急遽、病院に駆けつけました。
聡君は心臓の痛みを訴えて、非常に苦しんでいました。尿が出なくなり、
血圧も50台に下がっており、時には測定できない状態でした。
苦しみのために体中を痛がり、足をさすって、腰をさすって、胸をさすってと訴え、
私の手が2本では足りないくらいで必死にさすり続けました。
この状態では死を迎える心の準備をする余裕もなく、このまま召されるのは
とても耐えられない思いで、
私は教会やクリスチャンの友人達に聡君が苦しまずに、
平安のうちに召されますようにとの祈りを依頼しました。
夕方の7時ごろ、心拍数は170を超え、医師が
「このままでは心臓が停止する。そのため除細動のためカウンターショックを試みる、
しかし弱っているから、そのまま死亡するかもしれないから、了承してもらいたい」と言われて、
私は病室から出されました。
一人で立っていられない思いで、震えながら祈りつつ私には長い時間が過ぎる
と医師が笑顔で
「成功しました」と病室から出てこられたのです。
病室に入ると聡君も先ほどまでの苦しみは嘘のように笑顔になっていました。
心拍数は80台になっていました。すっかり痛みもなくなっていました。
その夜私は病室に泊まることにしました。
夜9時ごろにはお兄さん一家も到着されました。その夜、
聡君はお兄さんと共通の思い出がある子どもの頃の話を楽しそうにしていましたがそのうち
「兄貴、僕は兄貴がいてくれてよかった。
兄貴がいてくれたから僕は今まで生きてこられたんだ。
ありがとう。だってたったひとりの肉親だもの」と言いました。お兄さんが
「僕はいい兄ではなかったから・・・」と言いますと、
「今はいい兄貴だよ。今いい兄貴ならそれでいいんだよ」と答えたのです。
お兄さんは声を上げて泣いていました。それから
「兄貴、がんばってね。無理はしなくてもいいけど、僕のぶんまでがんばってね。
僕はずっと応援しているから」
これらの言葉がどれほどお兄さんの心を揺り動かしたことでしょう。
泣きながら聡君の手をしっかり握りました。
「ああ、暖かい手だ。いい気持ち」と聡君は満面の笑顔でした。
後からお兄さんは初めて聡の手を握りましたと語ってくれました。
お兄さんの家族が11時ごろ帰られても、聡君は眠らず私に
「先生、頭をなでながら賛美歌を歌って」と言います。
私が聡君の好きな賛美歌や聖歌を歌ってあげると、
「ああいい気持ちだ。こうしてもらうと一番安心する。先生の手はまるで神様の手みたいだ。
きっとイエス様が一緒になでてくださっているんだね」
「僕は先生に出会えて幸せだった。先生は僕の本当のお母さんよりも、
お母さんだった。ありがとう。でも、こんな息子でごめんね」
「そんなことないよ。聡君は先生の大切な、大切な息子だよ」
「うれしい。うれしい。おーおー」と声をあげて泣きました。無論私も一緒に泣きました。
お兄さんにも私にも、一生の宝になるような言葉を遺してくれたのです。
その夜は一睡もせず、聡君の頭をなでながら、賛美歌を歌い続けました。
少しうとうとしていた聡君がふっと目を覚ますと
「今、光の中に復活のイエス様が立っていらっしゃる姿が見えた。
きっと僕に何も心配しなくていいよ。安心していていいよと言ってくださったんだね」
と言いました。
翌日も穏やかに過ごすことができました。医師から
「この病気の人は昨日の時点で命の残量は0でした。こんなに生命力が強い人は
初めてです」と言われ、看護師さんたちからは
「奇蹟の生還だね。病棟の伝説の男になるよ」などと言われました。
ただ前日の朝まで飲むことができていたのに、電気ショックを受けてからまったく
水分を嚥下できなくなっていました。
液体の総合栄養剤を飲んで、栄養を摂ってきた聡君にとって、
胃に何も入れることができず空腹感や口の渇きを強く訴えるようになりました。
そこで好きな飲み物を口に含ませては吐き出すことで空腹感をまぎらすようになりました。
ココア、ミルクテイ、様々なジュース類、お茶など次々と要求し、口に入れてあげると
「ああおいしい」と楽しんでいました。その夜と次の夜はお兄さんが泊まってくださいました。
きっと昨夜の言葉がお兄さんを泊まらせたのだと思いました。
ところが翌日から強い不安感が出てきました。
死の淵まで行った恐怖感がよみがえってきたのか、
そばを少しでも離れると怖がり、泣き出すようなこともありました。
絶え間なく飲み物を欲しがり、合間には
「足を揉んで、背中をさすって」と要求します。
飲み物を口に含んでいるか、体に触れていてもらわないと
生きている実感がないかのようでした。
私は毎日飲み物を山のように買いこんで、病院に行きました。
一分も息をつげないくらい聡君の要求を満たすのに追われました。
それでも少しずつ精神的に落ち着いてきて、不安感が薄れてきた時、
私は過労で高熱を出してしまいました。
2月26日と27日と私は病院を休んで寝込んでしまいました。
聡君が寂しがっているのではないかと気が気ではなく明日は何としても
病院に行こうと準備していた夜中、
病院から聡君の容態が急変したとの知らせがきました。
もう電車はなくどうすることもできずにうろうろとしている間に28日の午前3時17分に
息を引き取ったと知らせがきました。
最後の2日間をそばについていてあげられなかったことが辛くて辛くて
胸がきりきりと張り裂けそうでした。
お兄さんはたまたま仕事で都心にいて、臨終に間に合ったのです。
その様子を聞くと、しばらくは苦しみながらなにかうわごとを言っていましたが、
そのうち、宙を見つめながら
「渡邊 聡です」と名乗り「僕を取り去り(地上から)給え。アーメン」
「さようなら」と言って息を引き取ったそうです。
あたかもそこに神様がいらっしゃって話しかけているようだったと
お兄さんは深く感動しておられました。
一時は死を恐れ、不安にさいなまれていましたが、最後は見事に死に打ち勝ったのです。
そして迎えにきてくださったイエス様に挨拶をし天のみ国へと召されて行きました。
私は臨終に立ち会えなかったことが、辛くてたまりませんでしたが、お兄さんが間に合って、
それが神様の深いみこころであったと今は思えるようになりました。
私が通っている教会で葬儀をしていただきました。
前夜式(通夜)でも葬式でも、式の終わりの遺族挨拶でお兄さんは臨終の模様を
涙と共に話されました。
それは参列者に大きな感動を与えました。それからお兄さんは
「聡が18日に死ななくてカウンターショックで命をとりとめ、それからの10日間は
僕と聡が本当の兄弟になれた恵みの時でした。僕は聡に救われました。
これまで聡に持っていた聡への負い目や重いかせからようやく解放されました。
僕は新たに人生を歩みだすことができるような気がします」と深い感動と感謝をもって
話されたのです。
式では聡君の愛唱賛美歌として聖歌の610番を歌っていただきました。
この歌をうたうと、心が安らぐと言って好きだったのです。
3番の歌詞に
最期の息引きとる時も なが声を聞かまほし
とこ世の朝覚むるときには ともに歌わんみさかえを
そばちかく おらせたまえや そばちかくとこしえに
とありますが、聡君の最期はこの歌のままであったと思います。

あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
ことばが私の舌にのぼる前に、
なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。
そのような知識は私にとって、あまりにも不思議、あまりにも高くて 、及びもつきません。
私はあなたの御霊から離れて 、どこへ行けましょう。
私はあなたの御前を離れて 、どこへのがれましょう。
たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられます。

神よ。あなたの御思いを知るのは
なんとむずかしいことでしょう。
その総計は、なんと多いことでしょう。
それを数えようとしても、それは砂よりも多いのです。
私が目ざめるとき,私はなおも、あなたとともにいます。
神よ。私を探り、私の心を知って下さい。
私を調べ、私の思い煩いを知って下さい。
私のうちに傷のついた道があるか 、ないかを見て、
私をとこしえの道に導いて下さい。