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2005年3月号  page1  page2


「ベトナムの今 −ある欧米人の働き人の報告−」

ある街角で(写真と本文とは関係ありません)  最近の映画で、こんなセリフがありました。「ベトナムに来たら、とにかく短い間にたくさん学ぶんだ。そしてその後は、何とかやっていくだけさ!」
 私はベトナムで十年間過ごしました。この間、ベトナム社会で起きた様々な変化には私だけでなくベトナム人さえも翻弄されてきました。キリストの証人となることを願って私が初めて訪れた頃のベトナムと今とでは、すっかり様子が変わりました。そしてこの国は今も多くの人々を取り残してしまうほどの勢いで変貌を続けています。
 以前私のアシスタントを勤めてくれた、ある有能な女性は、ホーチミン大学を優秀な成績で卒業してから、大手の国営企業に就職しました。しかし職場で問題が起きたため、彼女は私のところに相談にやって来ました。
 長い時間彼女と話をした後で、最後に私はこう付け加えました。「私のアドバイスはあくまで欧米人の考え方に基づいてのものだよ。だから君は君の職場にふさわしい、アジア的な対応の仕方を見つけなきゃいけないよ。」ところがその一週間後、彼女は再び私の所に戻ってきて、困惑した表情でこう言ったのです。「でも‥‥そのアジア的な方法が見つけられないんです。」
 ベトナム国内の絶え間ない変化の中で、混乱をきたす人々もいます。又、その反面、通常の規制が取りさられたため、大きな自由が与えられた今、これを機会到来の時期、と受けとめる人々もいます。しかしその自由も、ある人々にとっては手にあまるもののようです。
 私がベトナムに行くと決めた時、友達の中には、もう私に会うのはこれが最後だろう、と思った人達もいました。当時、ベトナム戦争の記憶はまだ彼らにとって生々しいものだったのです。しかし今、あの九・一一事件以来、ベトナムはアジアの国々の中で、最も住むに安全な国と公に認められるほどの国になっています。
 十年前のベトナムには、信号もなければ、スーパーマーケットも、インターネットも携帯電話も存在しませんでした。家に電話を持つ人々もほんの一握りでしたし、車を持っているのは外資系企業だけでした。今では、インターネットでスーパーでするような買い物をし、無料で自宅まで配達してもらうことすらできるのです。
 ベトナムに新しいチャンスの時代が訪れました。もう人々はかつてのように国を脱出することもなくなりました。現在、より強い経済力を持ち、解放的にもなった社会には、教育面でもビジネスでも海外旅行などでも、無数の機会が得られるようになりました。そして大学卒の若い人々は、突然自分たちの両親のかつての年収を、たった一ヶ月で稼ぎ出せるようになったのです。
 こうして家の主要な稼ぎ手となった、この二十代の専門技術者達が、家で電話や洗濯機を買うか否かといった決定権を握るようになりました。
 しかし、この決定権を握る青年達には、モデルとなる存在がありません。彼らには必要なアドバイスを与えてくれる存在がいないのです。自分達には青年時代というものがなかったと感じている親達には、子供たちに励ましを与えることができず、せいぜい「何をしてもかまわないけど、やるならちゃんとやりなさいよ!」と言うしかないのです。しかし多くの若者達にとってこれでは足りません。
ホーチミン市の市場にて(写真と本文とは関係ありません)  私がベトナムで生活を始めてすぐに、周囲の人々が私のすること全てをまねしていることに気づきました。私と同じ漫画を読み、同じシャンプーや同じシャツを買うといった具合です。そのような中で、パウロ同様、私も模倣されるにふさわしい生活をしたいと思うようになりました。「ほら、これを読んでごらん、人生が変わるよ!」そのように何かをこちらから手渡す必要はありませんでした。ただ単に自分が人々にしてみせるという行為だけで、人生の意味と手本となるものを求めている青年達は、すばやくそれを自分たちの生活に取り入れていったのです。
 悲しいことに、ベトナムに来る外国人の大半はクリスチャンではなく、ただ何かワクワクする新しいものを求めてやって来る若い人々がほとんどです。しかし、それしか手本がない場合、やはり若いベトナム人達はこれらの外国人達の生き方をまねすることになるのです。
 かつてベトナムには、人々はとにかくその日だけを何とか生きのびることだけを望み、明日のことなどはほとんど考えずに生きていた時がありました。しかし、人生に様々な機会があふれ始めた今、人々はよりよい明日を手に入れるために、今日持てるもの全てをつぎこむようになりました。ある二十二才の大学卒業生の知り合いは、その一ヶ月の給料(これは父親の給料の五ヵ月分)のほとんどを私立学校に通う兄弟姉妹達の学費にあてています。これも又、彼らがよりよい将来を手にいれるための投資なのです。
 教育に多大な犠牲を払うことは、ここではめずらしくありません。しばしば、まるでベトナムの全人口が勉学に打ち込んでいるかのように見えることもあります。しかも都市部ではそれもあながち誤った見方ではありません。私が大学で教鞭を取っていた頃、学生の年齢は十七才から六十三才と幅広いものでした。十二才の高校生すらも夜の塾に通いますし、大学や私立学校も過去二、三年で雨後の筍のように増えて、意欲にあふれる生徒たちでにぎわっています。
 多くのベトナム人にとって、きまった期間内にたった一つしか学位を取らないのは時間を無駄にしていることになります。中には一度に二つか三つの学位を取る人々もいます。私の生徒の一人などは、午前中にビジネス管理を学び、午後にはそこから一時間ほどの距離の大学で経済を、そして夜に英語、と勉強に走り回っていました。八年後、この若い女性野心家さんは就職した国営企業でも出世街道をひた走っています。そして今もなお、夜間コースで経済と人事開発、不動産売買、雇用法と、人生に意味と満足感をもたらすであろうと思えるものは何でも勉強し続けています。
 このよりよい将来の探求の中で、キリストに出会い、信仰がその建設中の人生の礎石となる人々もいます。ある少女はキリストを信じる決心をし、家に帰って母親にそれを告げました。「そうするつもりなら」と北部出身で共産党員の母親は応えたそうです。「全力でやりなさいよ。一年後になってあきらめたりするんじゃないよ!」
 このような寛容さはアジアの国の中でもめずらしいものです。国によっては、周囲を開放的な国に囲まれていながらも、伝統的な生き方と決別する代償に、家族から勘当されてしまう青年達もいます。しかしベトナムは「閉鎖的」とよく表現されるにもかかわらず、人々の心は大きく開かれているのです
 このような国民性を持つベトナム人がキリストを信じた場合、彼らはこの新しい生き方を全力投球で学ぼうとします。そのあまりの熱心さには、かつて、私も聖書の学びの準備がとても追いつかないほどでした。
 欧米では、毎日五分の聖書の学びだけで満足している私達ですが、私たちの人生の基盤となるほど価値のあるものには、もっと時間をかけてもいいはずです。特に学ぶ方法を本当によく知っている彼らはそう考えるのです。
 ある青年は二時間の距離に住んでいました。毎日会うわけにはいかなかったので、私にできることとして、新しいクリスチャンのためのテキストを渡しました。最初の箇所を共に学び、話し合い、祈りました。六十日分の学びのテキストでした。それから一週間後に彼の家を再び訪問し、学びはどうかとたずねると、彼の返事は「もう全部終わっちゃいましたよ!」でした。そして、もう次のテキストを待ちわびている様子を見せたのです。
 戦後、そして共産主義時代を経て、ベトナム人はアイデンティティを求め続けています。それに伴い、すさまじいほどの学習熱は続いています。専門職を持つ外国人にとって、ベトナム人のこの情熱を満たす機会はあふれているのです。
 ベトナム人はよりよい明日を築こうとしています。しかしその明日がやって来た時、そこには果たして何があるのでしょうか?そこで彼らはキリストへの信仰に出会えるのでしょうか?それとも彼らが出会うのは他の何かなのでしょうか?


「神様のタイミング」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師

ある日の礼拝後の交わり  ちょうど四ヶ月前、成田を発つ時、飛行場にいる私共に友人より携帯に電話がかかって来ました。二月半ばに森祐理さんが北タイの山地の小学校などにボランティアで行く予定があるけれど、チェンマイでコンサートなどを開く可能性があるだろうか?という問い合わせでした。私たちはまだ、チェンマイの様子など何も分からない状態でしたが、神よりの摂理と、私達の宣教の出発へのエールとを感じて、前向きなOKのお返事を致しました。身近な人達の中には、行ってすぐだから無理だ、大変だと忠告してくださる方々もありましたが、なんとかなるだろう、チェンマイの日本の方々にアプローチする最高の機会になるだろうと思って積極的なうれしい気持ちで引き受けたことでした。
 こちらに来て、自分達の家を見つけ、生活を整え集会を引継ぎ、集会場を用意し、教会という形で毎週聖日礼拝を始め、ビザの問題をもクリアーし、礼拝のメッセージや牧会などの一連の働きがこの四ヶ月であっという間にと進められてきました。その中でチェンマイ日本語キリスト教会として正式に受け入れますかと森さん日本側から問われて来ました。こちらは正式な教会メンバーも役員会も無いような中でしたので、たった一人の決断のようなもので開催を了承しました。私達がチェンマイの宣教に召されたのはこの時のためかも知れないと厳粛な思いでした。
 しかし、来たばかりのチェンマイで、文字通り右も左も分からず、日本人の様子も知らず、集会場の選択、交渉も見当がつかず、言葉も不自由、何のコネも無し‥‥という雲をつかむような状態でした。ただ祈るしかありませんでしたが、そのような中から明子の参加していた女性コーラス・グループや教会員のご主人などからの情報をもとに、これはどうしてもチェンマイ日本総領事館(こちらでの大使館のようなもの)にコンタクトを取らねばならないことが分かって来ました。どうしたら良いだろうと考えあぐねておりました時、これも不思議なタイミングと導きで総領事館のトップの方々とお会いする道が開け、これもちょうど森さんが来られる二月十一日(金)から十三日(日)に計画されていた日タイの文化交流のイベントに参加することが許されたのでした。会場はこれも不思議なことですが日本語礼拝が月一度持たれていたパヤップ神学大学の構内の大講堂ということでした。一時間半を自由に使って良いということでした。タイ人の参加も予想されるということで難しい通訳は有澤達朗先生にご無理を言ってお願いすることが出来ました。そのようなことが紆余曲折のうちに進んでいる時、思いがけないことに昨年十二月二十六日、タイ、プーケット島に大津波の被害が襲ったのでした。いまだに続く悲しい恐ろしい被害の中に多くの方々が苦しんでおられます。そのような中に森祐理さんが来られ、阪神大震災で弟さんを亡くされた悲しみを乗り越えてのお証しをされることになったのです。森さん以上に、この状況の中に慰めとメッセージを持っている方がおられるでしょうか? 神様の不思議なお計らいを感じて恐ろしいほどです。
 このニュースをお読みの時はすでにこのチャリティ・コンサートは終わっていると思います。義捐金はプーケット島の被害のためにささげられますが、それ以上に、どうか慰めと永遠の命の福音が多くの人に届けられますようお祈り下さい。(孝篤)

【祈りの課題】
1.森 祐理さんのコンサートでコンタクトを持てた方々が続けて教会に導かれるように。
2.現在、求道中の中高年の日本人のご夫婦たちが救いの信仰へと導かれるように。


「『待つ』こと」
カンボジア・プノンペン  西村信恵

深川キリスト教会の方々と  いつも皆様のお祈り、心から感謝いたします。今これを書いているのは一月の末、日本は今年一番の寒波がおとずれています。新潟の震災を受けられた方々には暮らしにくい日々が続き、世界でも地震と津波を体験された方々にとっても長い苦しい時が続きます。私たちにとってはそれがいつまで続くのか、いつまで待たなければならないのか分かりませんが、希望と忍耐をもって待つことができるように、神様のみ手がそれぞれのところで伸ばされますようにと祈らされます。
 私も今月は、「待つ」忍耐を学ばされました。一月のはじめ、私は荷造りの準備も整い、カンボジアへ出発する日がせまっていた日のことです。祖母が腰の圧迫骨折のため入院、夜の付き添いも必要となりました。同時期、私も気管支炎の咳のために肋骨にひびが入ってしまい、結局は出発の日を延長せざるを得なくなりました。荷造りもし、気持ちの準備も出発気分でいた私には、出鼻をくじかれてしまったような感じで、力が急に抜けてしまいました。張り詰めていた気持ちが切れてしまったようで、ボーっとしていました。長く特別休暇をいただいて日本におり、ようやく帰ろうとしていたときの事、待ってくださっているカンボジアの方々、同労者の方々に申し訳ない思いと、家族の手助けをしたい気持ちと、自分の病気の歯がゆさとが入り混じってしばらくは複雑な思いですごしました。しかし、この「待つ」間に、神様はもう一度自分のことを振り返る時、これからのことを祈る時としてくださいました。その中で、自分の弱さを見せられ、それを覆って働いてくださる神様の恵みと力を思わされ、思いの中にあるいろいろなことをすべて神様にゆだねて頼り進んでいくことを示されました。長いブランクの後の働きがもうすぐ再開します。おごることなく、神様のときを待ち、神様により頼みつつ歩んでいけますようにお祈りください。感謝して。

【祈りの課題】
1.3月2〜4日、カンボジア教会開拓チームの修養会があります。働きに関して一致した思いと目的が与えられ、よき交わりの時ともなります様にお祈りください。
2.西村師のカンボジアでの働きの再開のため、日本にいるご家族の新しい歩みのためにお祈りください。


「コイノニア」
在英邦人伝道 横山基生、好江

1月のレディング集会  一月二十九日のコイノニア。ケンブリッジJCFの皆さんと一緒に企画する日本人とのコンタクトを広げるための集いです。今回は約三十五名と、いつもより多くの人達の参加となりました。初参加された六名の内の二名をご紹介します。
 Jさんは、昨年九月頃にケンブリッジに来た大学生です。ザ・バーン(留学生伝道のコーヒー・バー)に毎週来ていて、ビザ・コースという留学生向けのキリスト教入門コースに出たり、現在もビザ・プラスという英語聖研に出ています。昨年秋からしばしば誘うのですが、私達が企画する集いのどれにも来てくれず、あきらめかけていました。ところが、今回コイノニアに参加し、さらに月曜日の学生伝道聖研に出たいと言うのです。ハレルヤ!三月末に日本に戻るまで、日本語での聖書の学びが祝されるようお祈り下さい。
 英国の大学入学を目指している学生Yさんも昨年五月頃からザ・バーンに来るようになり、ほとんど毎週会っているのですが、日本人向けの集会にはほとんど関心を示してくれませんでした。英国人クリスチャンに誘われて、昨年のクリスマス礼拝・祝会に来られ、今回コイノニアにも来てくれたのです。英語での聖研も数回出たことがあるようです。Yさんの霊の目が開かれ、主に心を向け始めることが出来るようお祈り下さい。
 一人一人の魂に愛を持って関わり続けることの大切さ、自分の期待に相手が応えてくれなくても、主の時に主の業が進むことを改めて教えられています。(基生)
 年明けの初礼拝、ロック・バプテスト教会では東アジアの津波について牧師が語り(クリスチャンとしてどう受けとめ祈ったらいいか)、皆で心を合わせて祈りました。援助のために経済的・物質的に捧げる人がイギリス全国、宗教を問わず大勢起こされ、しばらくするとブレア首相が「今回の被災者数と、毎週アフリカで政治的な理由や天災によって被害を受ける人の数はほぼ同じである」とそれぞれの必要に目を向けていこうとアピールしました。キリスト教・援助の歴史が古い国だと改めて思わされました。
 私達が関わる聖研(学生・婦人)でもこの話題となり、神と天災、被造物も人間同様贖われるのを待っているといった教えを共に学ぶことができました。
 先月号で報告しお祈りいただきました、受洗準備中のMさん(学生聖研の常連メンバー)は日程がほぼ決まりつつあり、二月中に受洗できそうです。お祈りを感謝します。
 月一回奉仕しているレディング集会、バーミンガム集会。一月は新しい方が加わり感謝。レディング集会に初参加の婦人四名は、真実に求めておられる様子です。各地で主がそれぞれの魂を導いて下さるようにお祈りいただけると幸いです。
 学生聖研で、さらに深く交われるよう、御言葉を自分の生活に当てはめられるよう願い祈っていました。前回、日本食の夕食の後に行なっている近況報告を始める前に、基生が御言葉を開いてそのことを励ましたところ、皆心を開いて語ってくれ御名を崇めました。今まで自分が「愛をもって福音を語ればいい」とだけ考えていたのではと反省しました。主が自らの内に成して下さった御業、主と共に歩む恵みを語る時、さらに深いレベルの交わりになることを見せていただき、土の器に徹して内住の主の栄光を拝することを教えられています。三月の歩みも皆さんのお祈りに支えられて進められますことを心から感謝申し上げます。(好江)

【祈りの課題】
1.3月12日(土)ケンブリッジJCF主催のイースター礼拝・祝会(伝道のため)があります。毎年100名を超える人達が集まります。全ての準備が豊かになされるようにお祈り下さい。
2.4月13日から5月17日まで日本に一時帰国します。英国から帰国した人達のフォロアップと宣教報告のためです。良き準備がなされるようにお祈り下さい。


「聖霊の風」
台湾・活水泉 木下理恵子

 日本は極寒の冬と聞きました。皆様はお元気でお過ごしでしょうか。台湾も寒い冬で、最近こちらでも売られるようになった使い捨てカイロで活水泉のみんなもこの冬を乗り切った感じです。いつもお祈り、ご献金をどうもありがとうございます。
 一月十六日には蒋兄の洗礼式が持たれました。洗礼準備の時、前科が多く罪の告白を躊躇し延ばし延ばしにした蒋兄ですが、思い切って告白した後の洗礼式。その感想は「首の周りにずしんと結ばれていた大きな思い石が転げ落ちたように軽い。」同じ時に一緒に洗礼を受けるはずだった楊兄は、洗礼式の四日前に突然お兄様が亡くなられ、その御葬儀等のため今回の洗礼は断念しました。まだ洗礼を希望していますが、台湾の伝統的な異教の葬儀に随分関わった楊兄、その影響を受けています。続けて楊兄のためにお祈りください。
 最近あった事。林さんはこの数年、毎回食べ物目当ての活水泉通いで、礼拝には一度も出たことはありません。それがある日礼拝出席。しかもその後「お祈りは確かに効き目がある。」黄さんは活水泉にはほとんど来る事がなく、訪問の時に会う人でした。その黄さんがある日礼拝に出席。しかもスモールグループの祈りの時に証してくれました。「ずっと膝が痛くて辛かった。ソーシャルワーカーが病院に行こうって言ってくれたけれど、病院はいやで断った。痛くてしょうがないからイエス様にお祈りしたんだ。癒して下さいって。そうやって何日か祈っていたら、膝痛くなくなったんだ。イエス様が癒して下さったんだ。本当だよ。うん。もちろんイエス様の事、主だって信じてる。」木曜の礼拝で葉師がご自分の禁酒の証をしていたら、訪問でよく会うある公園のアル中の二人が入って来ました。「えっ、この人の言う事正しいよ。」との感想と共に最後まで残り、自分でも祈り、掃除まで手伝って喜んで帰って行きました。礼拝には来たことのない人、どうして今日来たのとの質問に、「以前何度この前を通ったか知れないけど、入る気にならなかった。でも今日、中の声が聞こえてきて、誰かが入りなさいって招いてくれているみたいで、気がついたら入って来ていた。」この日この二人以外にも同じ公園からもう一人のアル中がやっぱり初めて来ていました。イエス様に招かれてでしょう。活水泉に最近聖霊の風が吹いている様です。

【祈りの課題】
1.最近お弁当の出る火曜日の礼拝は100人前後の人が来ます。活水泉には入りきれません。社会福祉部と協力してもっと大きな場所をと言う話があります。主の御心が示されるように。来る人が皆座って福音を聞けるような大きな場所が与えられるように。
2.木曜日の夜の集会をアルコールなどの依存症の人たちを対象としたものに、また最近洗礼を受けた人たちのフォロアップ集会、受洗準備求道者会などを新しく定期的に計画しています。主の導きと知恵、祝福があるように。

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