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2005年11月号  page1  page2


「香港」
シャーロッテ・ヘイルズ師

 一〇四二平方キロメートルというその国土の小ささにもかかわらず、世界経済の中で香港は重要な役割を担う国です。
 香港は主に香港島、九龍地区、新界地区から成り立っています。山が多く、ふもとの低地には人口が密集しています。
 英国の支配前、香港は漁業を営む人々が住む地帯で、海賊や麻薬仲介人のたまり場でもありました。その天然の良い港としての地形を、最初イギリスは中国とのアヘン戦争の際の海軍の拠点地として用いました。一八四二年の南京条約によって第一次アヘン戦争が終わり、香港島はイギリスに永久割譲され、一八六〇年には九龍島が、一八九八年には新界地区が続いて割譲。ここに九十九年間のイギリス支配が始まりました。
 第二次世界大戦時の日本軍支配の後、香港は南東アジアの主要な貿易拠点として急速に発展していきました。一九四九年の共産党政権誕生の前後、多くの中国人が香港に流入し、この地に労働力と起業技術と資本をもたらしました。こうして香港は東南アジアの中で最も富にあふれ、生産能力に溢れる国の一つとなったのです。
 一九九七年、香港は中国へ返還されました。中国との合意の下、香港はその法的・社会的・経済的システムを二〇四七年まで維持することが許されています。実際にはほとんどの人々が中国の言うその自由がきちんと「整えられる」ことを願っています。香港の外交と防衛は今は中国が担っています。
 かつて香港は製造業で有名な国でしたが、近年はサービス産業や中国の輸出品加工へと転換しています。又香港は金融と商業ビジネスの中心地でもあります。
 他の東南アジア諸国同様、一九九八年のアジア経済危機の被害は香港にも打撃を与えました。二〇〇一年と二〇〇二年の世界的な経済的変動に伴う不況の波も襲いました。
 二〇〇三年、香港の経済はSARSの勃発により又も悪影響を受けました。しかしそれ以来、観光ブームや輸出増加により、景気はもちなおしてきています。
 香港の人々の多くは仏教、精霊信仰、儒教、道教や他の新興宗教の各要素を合わせたような、中国からの民間宗教に帰依しています。香港には三百六十以上の道教や仏教の寺院があります。家族行事として求められるままにこうした伝統を守っている人々がほとんどです。物質主義も広く行き渡っています。
 中国文化が支配している一方、多くの人々が住み、又訪れる港として、香港は欧米を初め、他国からの様々な影響を受けている国です。
香港のキリスト教
 教団教派のほとんどは初期の時代から存在し、過去の遺産としてヨーロッパ風の教会建築を残しながら、今に至っています。千人余りいた教会の信徒の多くは、今はアパートの部屋を改造した、間に合わせの部屋で集会を持っています。土地の値段は高く、新しい教会堂の建設はむずかしい状況です。
 一九五〇〜五二年は、宣教師らが中国を香港経由で脱出する、「出エジプト」の時期でした。CIM(中国奥地伝道団。OMFの前身)は、事務所をかまえ、脱出者の対応に当たりました。宣教師達の中には香港に留まり、ここで多くの中国人難民のために働き続けた人々もいました。
 当時、香港には宣教団体が数多く存在していたので、OMFはクリスチャン・ウィツトネス・プレスという出版社を設立し、当時切望されていた信仰書の出版に働きの的を絞ることにしました。CWPは後に日曜学校協会と合併し、クリスチャン・コミュニケーション・リミテッドという団体になりました。これは今では完全に独立し、中国語の信仰書出版社の中で主流の立場になっています。
 OMFはその後地元の教会と協力して伝道、説教、訓練の働きに当たりました。新しい町々が建てられると、OMFと中国人諸教会は伝道の可能性を探し求めていきます。OMFは労働者や社会の底辺に追いやられている人々の間で草の根的な伝道活動もしています。それでもまだ一度も福音を聞いたことのない人々が数多くいるのです。
 今日、香港の教会にはうわべの信仰、活気、青年達、将来への不安などが混在しています。最近、香港と中国、そしてさらに遠くの教会の一致のためにとりなしの祈りが増えています。その影響で、諸教会が合同で大規模な伝道集会を行ない、又、合同の祈祷会も開かれています。
 OMFは教会のビジョンを大きく拡げ、教会から多くの人々が宣教の地へと押し出されていくことを願っています。教会の約五十七パーセントが宣教に対するビジョンを持ち、積極的に宣教に関わっています。一九九七年以降、宣教活動の多くは、中国南部地域への働きとなって続いています。
 今日、キリスト教系の学校は香港に五十校あります。社会事業団体の六十パーセントはキリスト教団体であり、キリスト教団体の運営する病院は病院全体数の二十五パーセントにのぼります。
 香港で、OMFは地元教会と協力した働きを最重要視しています。中国本土からの移民伝道もその一つです。移住者の多くはゴミゴミした不法居住区域や人々のひしめく粗末な高層アパートや、港で船の中に住まわされ、不満を抱え、希望を失っています。一九九七年以来、中国からの移住者の数は毎日増加し続けていますが、その多くが親が中国と香港に別れ別れになっている子供達であるため、教会での教育プログラムが移民家族の支援と同時に、働きの中心となっています。学生や学者達への伝道や日に一万人もの中国からの旅行者への働きも続いています。 伝道、教職、訓練、カウンセリング、神学校での教職、英語教師など専門職を生かした働き‥‥。香港は様々な働きの可能性と、そのための働き人をもっともっと必要としている地なのです。


「英流」
吉澤恵一郎・香

自宅前で  私たちは無事にケンブリッジに到着しました。これから英語を学び、英国の邦人伝道に備える予定です。
 こちらに来て最初の課題は子どもたちの就学のことでした。私たちの家のすぐ近くに小学校がありましたが、英国では近くの学校に入れるとは限りません。長女のクラスには空きがあるが、長男は定員オーバーのために入れないということを到着してすぐに知らされました。義務教育なのに、目の前の学校に入れないなんて日本では考えられない事です。英語が話せない私たちに代わって横山先生が各方面に交渉してくださいましたが、良い返事は得られませんでした。様々な負担を考え、二人で入学できる少し遠い小学校へ通わせる事にしました。学校生活を始めるためには校長との面接が必要です。しかし、驚く事に面接の数時間前に、近くの小学校に長男が入れる事になったという手紙が届いたのです。結果的には願っていた通りになりましたが、いきなり、英国のリズムに振り回された思いでした。でも、神様が歓迎の意味をこめて、英国のスタイルを私たちに教えながら最善の道を開いて下さったように思えてならない出来事でした。(恵一郎)
 イギリスに着いて一週間が経ちました。初めてのイギリス生活を衣食住でご紹介いたします。衣−到着した翌日くらいから寒くなり始め、早速持ってきたセーターやトレーナーを着込んでいます。でも、日中陽がさしてくると汗ばんでくることがあり、暑くなったら脱ぐ、寒くなったら着るが基本と知りました。同じ場所にセーターの人と半袖の人がいたりします。食―ミルク、チーズ、ハムがとても美味しいです。そして、硬水が紅茶に合うのでしょうか、毎朝家族でミルクたっぷりのイングリッシュティーを頂いています。住―神様の憐みで六部屋もある使い勝手の良い牧師館をお借りできました。裏庭があり、家の中・外で自由に過ごせる空間が与えられた事は、まだ学校の準備中の子どもたちにとって大きな助けになりました。リスも遊びに来ます。
 排水溝がつまったり、ヒーターが故障したり、イギリスでは日常起こるらしい事も経験させていただきました。毎日どきどきですが、背後のお祈りに支えられて無事に生活がスタートできましたことを心からの感謝をもってご報告させていただきます。(香)

【祈りの課題】
1.二人の子どもたちが近くの同じ小学校に通えることになりました。感謝です。英語やイギリスの学校に馴染めるようにお祈りください。
2.毎日、語学学校で英語の学びを続けています。充実した学びとなり、宣教師としての備えができるように。


「信仰の先輩」
カンボジア・プノンペン  今村裕三、ひとみ

 先日、いつものようにハンセン氏病院に行ってみると、普段とは違った活気がみなぎっていました。私のパートナーのヘン先生は、今まで見たこともないアイロンのかかった白衣を着ています。聞いてみると、今日は国営放送のテレビ局が取材で来ているのだそうです。いつもと違ったみんなの行動や晴れがましい表情を見ていると、あぁここもアジアの国なのだなあと思わされました。患者さんを診察する様子も撮影されましたが、いつもよりも丁寧な言葉でヘン先生は診察していました。この病院のリーダーは、西欧人で現地のスタッフとの関係に苦労をしています。私はその中でカンボジア人とうまく付き合っていると言われ、カンボジア人スタッフの本音を時々、聞いたりします。私は普通にしているつもりですが、アジア人同士で波長が合っているのでしょうか。かつてある先輩宣教師は、日本人宣教師の役割の一つとして、西欧人と現地人の間に立つ仲介人のような役割があると文章にしていましたが、こういうことなのかな?と思ったりもしました。テレビ局の取材を通して、やはりこちらの人たちのプライドを大切にしなければいけないなと再考しました。面子を潰さず、よい診療行動へと変えられていくよう促したり、導いたりするには知恵が必要です。
 ムシできない虫「トッカエ」続報です。日本語名が分かりました。「トカゲ」もしくは「トッケイヤモリ」と称し、ペットショップでも結構な値段で売られているそうです。もしご対面の機会がありましたら、カンボジアに思いをはせて下さい。教えて下さった方々にこの場を借りて御礼申し上げます。(裕三)
 祖母が亡くなりました。カンボジアに出発する二年前、八十七歳の祖母に「次に会えるのは四年後であること、もしかしたら天国でかもしれない」と話してお別れをしてきました。当時、祖母は、久しぶりに会う孫の私を認識するのに時間がかかりましたが、私が宣教師になることを喜んでくれました。共に祈って別れる時間を持てたことは私にとって、とても良いことでした。その後、祖母の教会の牧師先生が、祖母の様子をメールで頻繁に教えて下さり、日本にいる時よりも祖母を身近に感じるようになっていました。今年の敬老の集いでは、とても元気で「ひとみちゃん、元気かな?」と私の安否も尋ねてくれたそうです。祖母と私は血のつながりはありません。祖母は私とそう違いもない年の頃に、六人の子供が居て父親は病弱、クリスチャンは母(長女)だけの家族にお嫁に来てくれました。なぜそんな大変な決断をしたのか?と尋ねた時、祖母は「イエス様がそうおっしゃたからね、結婚したの」とそう大したことでもないように答えたことが忘れられません。もし祖母が来てくれなかったら、私の母は幼い妹を残しては結婚できなかったでしょうから、私は生まれていなかったかもしれません。祖母の死後「どうして祖母は神様の言葉に従えたのか?」と何度も考えました。祖母の死は悲しいことで、受け止めるのに時間はかかりますが、考える度に「私も神様に忠実でありたい」と思う事ができ、感謝です。(ひとみ)

【祈りの課題】
1.日々の言葉の学びのために。語彙を増やし、会話力が向上できますように。
2.学びをしているダニー姉の信仰の成長のために。相応しい教会に結びつくことが出来るように。洗礼のことも祈っています。


「助けの天使たち」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師

最初の献児式  夜眠れない時、数を数えながら、四・三・二・一の夢などを考えています。チェンマイの礼拝で四つの楽器を使って賛美する。信仰の継承を目指し、三人の赤ちゃんの献児式をする。教会の継続と宣教のため二人の献身者を育てる。この地に日本語教会の会堂を一つ献堂式をする。私の年令ではかなわぬ夢か、それとも夢にしては小さいか、よく分かりませんが‥‥。先日、二十五年前、共にバンコクで宣教師の働きを励まし合った同盟教団の渡辺賢治師にチェンマイで再会しました。「野尻先生、この暑いチェンマイに、その年でよく来ましたねぇ」と言われたことですが、信仰とビジョンの人でありたいと願っています。そんな中、私の予想とは違い、教会員以外からの初めての献児式が持たれました。ウィックリフの田内祝太郎君です。宣教のビジョンを鼓舞されました。(孝篤)
日本語の教会学校  教会学校と呼べる程の人数ではないのですが、子供達の時間を礼拝の中に組み入れ、大人も共に賛美とお話しを楽しんでいます。四人の教師のため、お祈りください。
 この地に遣わされ、丸一年が過ぎ、ビザの更新のためにバンコクに一日出かけました。すっかりおのぼりさんの私たち、おまけにバンコクの地図を忘れたり‥‥。その中で、神さまはいろいろな形の「助けの天使」を送って下さいました。駅に急ぐ時、なぜか我が家の前にまで来たタクシー運転手、バンコクで道に迷った私達を電車に乗せてくれた日本人の主婦たち、極めつけはチェンマイ空港に夜、到着。洪水の中、どのタクシーも我が家方面には行かない時、川のような道の中をオフロード車を運転して家まで送ってくださった有澤たまみ先生たちです。感謝。(明子)

【祈りの課題】
1.3度にわたる大水のため、チェンマイの町中の人々が苦しんでいます。礼拝も困難です。教会に来ることを喜んでいる方々、初めて来ようとしておられる方々、最近、教会に見えられた方々、お体の不自由な方々の為お祈り下さい。
2.ご高齢の方々が、求道しておられます。永遠の命の希望を持たれ、チェンマイでの生活が充実したものとなりますように。


「バトンは渡され、引き継がれ‥‥」
フィリピン・ミンダナオ島 マノーボ族伝道 合田希保

信仰の継承のバトンを、次世代へと・・  今日は九月二六日、時の経つのは何と早い事でしょうか?この宣教ニュースを書かせて頂きます時に、その月の歩みを思い留まり、振り返るのですが、九月はいつもの月に増して感慨深い時であった様に思われます。二つの事を分かち合わせて下さい。
 一.OMFマノーボ族伝道が開始されて二十五年。そこで、記念感謝修養会が開かれました。マノーボ語での賛美、説教、二十五年の歩みを振り返る歴史物語、スライドショーから、初代のマノーボ族クリスチャン達の挨拶、涙ながらの苦労された証し等‥‥。本当に、それぞれの時間が、神様に対して感動や感謝で溢れて一杯でした。
 特に、初代の信仰を持たれたお年を少しめされた先輩達と、その子供達、これから次の世代に信仰を継承されてゆく若者(三十〜四十代)が、ステージに立ち、御互い握手を交し、祈り合うその中に、同僚の宣教師と共に、私も加えて頂きました。祈りの中で、泣きながらの祈りの声が聞こえました。宣教の主の御名を心から賛美致します。
 OMFマノーボ族伝道は四つのチームに分かれています。その地域によって、言葉も同じマノーボ語でも多少変わってくるからです。私は、タラインゴッド地域に属していますが、この地域から参加されたマノーボ族の同志達と大きなトラックの荷台に乗り、賛美をしながらの旅をしました。修養会の食事中には、久し振りの友との再会もあり、マノーボ語で色々な方々とお交わりやお祈りを共にさせて頂きました。
楽しかった修養会を後に‥‥。これからタラインゴットへ帰りまーす!(合田師は、荷台の中央あたり)  二.最近、傲慢さを示されています。ある時、山から帰ってダバオ市内のデパートで靴を買おうとした時でした。とても素敵な可愛らしい品物で一目見て気に入りました。しかし、よく見ると、ミシン目が汚く、値段と比較しながら迷っていました。 フィリピンの店員さんは、かなりの至近距離で、近づいてきては、「良い商品でしょ、買って下さい。」と、頻繁に言葉を掛けてきます。でもこれは、こちらでは当たり前の事なのです。それなのに、私は次の瞬間とてもいらいらしてしまい、「ダバオにいる時くらい、静かに、ゆっくりさせてよ。」という感情が込み上げてきました。靴を買う事も忘れ、その場を後にしました。外国人在留証明書の手続きで、役所に出掛けた際にも、その対応の遅さやいい加減さに、自然といらいら‥‥。第二期に入り、働きも少しつつ本格的に始まっていく中で、己の醜さを教えて頂き、「こんな者が、マノーボの子供達に教える資格はあるのだろうか?」正直、少し落ち込みました。でも、祈りの中で気付かされたのは、「あなたに、資格があると思っていたのですか?」という問いかけでした。「神様は、私がこのような醜い、弱さを持つ者だと言う事をご存知で、それでも敢えて、派遣して下さっているのだ、これは憐れみでしかないのだ。」と‥‥。悔い改めに導かれ、赦しを頂ける、この神の恵みを続けて教えて頂けます様、罪深いこの者を、是非お執り成し下されば幸いです。心から感謝しつつ‥‥。

【祈りの課題】
1.合田師の未信の家族や親族の救いの為に、(特に両親、弟夫婦、妹家族)お祈り下されば幸いです。
2.マノーボの子供寮で、毎聖日持たれている礼拝の為に。子供達と合田師が、真の礼拝者として成長させて頂く事が出来ます様に。共に礼拝について学んでいきたいと願っています。実現に至ります様に。合田師自身が御言葉から教えて頂き、良き準備ができますように。

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