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2007年1月号  page1  page2


「あらしの時の避け所 (イザヤ25:4)」

(写真の人物と内容は関係ありません)  暴徒たちは威嚇しながらノーマンをとりまいていました。この土地特有の鎌状の刀で武装した男たちがリーダー格の男をけしかけ、彼は刀を手にノーマンの方にじりじりと進み出てきました‥‥。
 全ては何年か前から始まっていました。ノーマンは、地元のクリスチャンで、南東アジアのイスラム教徒D部族のために祈っていました。しかしこの部族にとって、鎌状の刀による復讐や名誉のための殺戮は日常的なものでした。
 神はこの人々に対する重荷をノーマンに与えられたので、彼はそうすることを考えるだけで血が凍るような恐怖を感じながらも、何とかしてイシャ・アル・マシ(救い主イエス)のことを伝えたいと願っていました。そのため神が彼をこの人々の所に行って仕えるように召しを受けたと感じた時、彼はそれに従ったのです。
 恐れてはいたものの、それでもノーマンはアシャクという村を訪れ、人々にキリストのことを伝え始めました。しかし村人の反応は冷たく、福音を歓迎してはくれませんでした。
 落胆しながらもノーマンはアシャク村とよい関係にある近隣の村のクリスチャン数名と知り合い、彼らの助けを得てアシャク村の人々と知り合い、二、三人が主を信じました。しかし他の村人らは彼らの回心を怒り、ノーマンを陥れようと計画し始めました。
 ある日、彼が福音に興味を示したある村人を訪れていた時、暴徒たちが家を取り囲みました。家に火を放とうとした彼らに、事を何とか収めようとノーマンは彼らの前に出ていきました。
 しかし彼は刀を手にした男達においつめられ、逃げるチャンスもなくなってしまいました。暴徒のリーダーの表情は憎悪に満ちて、明らかに彼に対する殺意がみてとれました。ついにそのリーダーが刀を高く振り上げて近づき、ノーマンは最後の瞬間を覚悟して頭をたれました。しかしこの残虐な男の憎悪に満ちた顔が一変して恐怖の表情になったのです。彼の振り上げた刀は空中で凍りついたように止まりました。彼とそこにいた全ての人々が見たものは、静かに祈る人の姿だったのです。
 恐怖を感じた人々は四散し、刀を振り上げていたリーダー格の男も逃げるように去って行きました。家の持ち主であるシディックはこの奇跡を目撃し、そのまま主を信じたのです。
 それから二、三日後ノーマンとシディックは警察に呼び出されました。ノーマンが布教活動の容疑で投獄されかけたのです。しかし幸いなことにシディック自身も大胆にも自分もイシャ・アル・マシの弟子だと明言し、クリスチャン達が共に集うことは違法ではないために、警察は二人を釈放せざるを得なかったのです。
 それからほどなくして、アシャク村とその周辺地域は強烈な熱帯性嵐に見舞われ、三人の死者とシディックの家を含めた多くの家が破壊されてしまったのです。まだその余波の続く中、ノーマンとグレッグという青年を含む総勢四人はアシャク村への危険な道を急ぎました。その窮状にもかかわらず、村のクリスチャンたちは到着したノーマン達をどうしてももてなしたいと言い張ったのです。
 食事と祈りの時の後で、ノーマンとグレッグは被災地を調査しました。調査した村々でアシャク村が、四つのクリスチャンの家を含む十六の世帯が破壊された、最も被害が激しい場所であることが間もなくわかりました。その地を支配していた恐怖の雰囲気にもかかわらず(村人たちは自分達に対して神の怒りが爆発したのだと恐れていました)、十世帯の人々がキリスト信仰に立ち続けました。
 ノーマン達は同じ信仰者達をすぐに助けたいと願ったのですが、そのことが周囲の村人にどう見えるかを考えました。何としても村のクリスチャンに対する迫害が起こらないようにしなければなりません。又、村のほんの一握りの人々だけに支援の手を差し伸べるのは不公平でもあります。
 そのため破壊された十六世帯全てを再建するプロジェクトを企画し、村全体に話しあってもらい、結局シディック、ノーマンとイスラム教徒の村長がプロジェクト担当に選ばれました。再建の計画で興奮にわきあがると同時に、人々の心は福音へも開かれてきたようでした。
 しかし、再建計画は平坦な道ではありませんでした。とりわけ資金管理が最大の問題として浮上してきました。他の多くの人々と一緒にグレッグは必要な資金を集め、行政指導者達にその資金を運営管理するよう任せたのです。ノーマンは会計の責任をまかせられました。それはかつて彼が管理したことがないほどの金額でした。ノーマンと運営チームは建築資材を購入して、村の委員会と共同で働くこととなりました。再建のための労働力は村人たちから出すこととなりました。
 計画のリーダーの一人であるため、シディックの家の再建は一番最後となっていました。しかし、彼の家は祈りと交わり会の場として用いえるという意見が出たために、彼の家が一番最初に建て直されることになったのです。
 しかし、悲しいことにシディックは誘惑に陥り、割り当て以上の金額を使い込み、その後間もなくノーマン自身も利得のためにシディックの使い込みに共謀したと疑われてしまったのです。
 ついに問題は全員の知るところとなり、地元のクリスチャンと計画にかかわっている全ての人々の上に暗い影を投げかけました。そして何より、イシャ・アル・マシの御名をおとしめてしまったのです。ショックを受けたグレッグと他のメンバーは祈りによって主の前に問題を持って行き、悪しき者が勝利を得ることのないよう祈りました。
 神は神の子たちの祈りを聞かれました。シディックは心を動かされて、クリスチャン達とイスラム教徒の隣人達に罪を告白し、赦しを請い、使い込んだ金額を返済することを約束しました。
 村人たちはかえって驚いてしまいました。なぜシディックはわざわざ自分から罪を告白したんだろう?普通なら、面子がつぶれるのを覚悟で村から逃げてしまうだろうに皆に赦しをこうなんて、このイシャ・アル・マシへの信仰には何かがあるんだろうか?
 こうしてプロジェクトは続きました。再建築と並行して祈り会も始まりました。クリスチャン達はこの災害を通して、神がこの村に福音が伝わる備えをなさっていたのだと思うようになりました。希望と期待を新たにされた彼らは、どのようにして神が全ての人々ののがれ場となり、嵐の時の避け所となって下さるかを人々に語ったのです(イザヤ二五・四)。
 再建計画がほとんど完成に近づいた頃、シディックは彼の家で二時間にわたる集会を開き、二十五人の人々がヨハネの福音書の朗読を聞きました。その中で、一人のイスラム教徒がこう聞きました。「もし俺たちがイシャ・アル・マシの弟子になったら、Y部族みたいにならなきゃいけないのかい?」Y部族とはおもに精霊信仰の人々で、その中からクリスチャンになった人々もいます。しかし彼らの多くの信仰は土着の宗教とキリスト教が混じったものです。またD部族とは対立関係にある人々でした。
 聖霊に満たされてノーマンはこう答えました。「もちろん、そんなことはないよ。イシャを信じても君達はD部族のままなんだよ。イシャを信じたからといって、イシャはぼく達のアイデンティティや文化を奪ってしまうわけじゃない。彼はそれらを贖われる方なんだ。君たちはそのままで神にとって特別な者だから、D部族のままでイシャ・アル・マシの信者になれるんだよ。」
 これこそが皆が知る必要のある答えだったのです。こうして神が一人一人を召しておられるという新しい理解を得て、その場にいたイスラム教徒全てがキリストを信じたのです。(文中の人名と地名は全て仮名です)


「関西に行きました」
横山基生、好江

OMFブース  明けましておめでとうございます。二〇〇六年の歩みを振り返る時、変化の多い年も皆様のお祈りに支えられ、主と共に歩めましたことを心より感謝します。新しい年も先立つ宣教の主にお従いしたい、失われた者へのパッションをもって今も生きて働いておられる主イエスの心を与えていただきたいと思いを新たにしています。祈る前から私達の必要を知り、それを満たして下さる主の前に一つとなって皆さんと祈り続けられる恵みを感謝します。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 十一月には関西に出向いて奉仕をするとともに、嬉しい再会がたくさん与えられました。私達がケンブリッジの自宅で毎週行なっていた日本食付学生聖研に数ヶ月集っていたSさん。聖研参加者にフォロアップとして配信していたメールに「聖書を続けて読みたい、自分の聖書を買いたい」と、この夏答えてくれました。今回会って励まし、夏の「ミッション・ポッシブル」で一緒した姉妹と会ってもらいました。主がこの出会いを用いてSさんを御自身へと引き寄せて下さるよう祈っています。ケンブリッジで神学を学び、聖研を導いていたM婦人は京都に戻り、ご自宅などで聖研を行なっています。私達が紹介する帰国者をよくフォローして下さっています。今回私達が訪ねたため集いを開いて下さり、何人かの帰国者と再会して、主が続けてそれぞれに働いておられるのを見させていただきました。ケンブリッジのロック教会で受洗して一年になるNさん。奈良のご自宅に伺ってご一家と交わりました。神戸に戻られているKさんのご自宅に伺うこともできました。まさに主は生きて働いておられる。霊的にはそれぞれ途上にある、さらに多くの帰国者のために祈り続けようと思いを新たにされたことでした。(好江)
 十一月十五日から二十三日まで九日間大阪・神戸での活動のために車で出向きました。高速道路沿いの紅葉を楽しみつつ大阪に入り、堺市の昭和聖書教会へ。ここで毎月定例のOMF祈祷会が持たれていますが、最近出席者が少ないので、私達が関西に出向く機会を利用して「OMF宣教の夕べ」を企画していただきました。休職中の佐味湖幸宣教師も参加し、豊かなOMFの働きの紹介と祈りの時を持つことができました。三十名程の参加でした。
 二十一日から近畿宣教教会会議があり、OMFのブースを出して奉仕。英国等では様々な聖会・大会・会議等にブースが設営されます。日本委員会としては久し振りかと思います。フィリピンのピリ聖書教会で作られた様々な品物を佐味宣教師が販売する機会ともなり感謝。ブースに立ち寄られる方々は多くはなかったのですが、良い経験となりました。新しい年、主の宣教の前進のためにさらに誠実に歩ませていただきたいと願っています。(基生)

【祈りの課題】
1.OMF日本委員会総主事代行として2007年の活動計画を、主からしっかりと御心を聴いて立てることができるように。働きは限りなくあります。重要性と緊急性を見極めて事を進めていけるように。
2.横山師夫妻は在欧日本人宣教会から出向という立場で、OMFの働き人としてデイアスポラ日本人伝道の働きに関わってきました。1月15日にもたれる在欧の働きの今後についての大切な話し合いに御心がなりますように。


「新しい年に向かって」
日本 木下理恵子

赤富士の前で村岡泰右先生と軍地和広先生と共に  主に在って新年おめでとうございます。旧年中は多くの御祈り、ご献金、励ましやお交わりなどをどうもありがとうございました。新しい年もまたよろしくお願いしたします。
 新年、皆様はどの様な抱負を持たれているのでしょうか。希望の主が一つ一つ現実としてくださいますよう御祈りします。
 台湾のテラ師より感謝の報告が来ました。御祈り頂いた女性は毎週聖書研究に来て、主の恵みと癒しを体験しているそうです。最近は活水泉の礼拝にも定期的に来るようになっています。この方のため、今の仕事でなくふさわしい仕事が与えられるように、そして勇気を持って信仰の一歩を踏み出せるよう御祈り下さい。
 十一月には東海と関東を巡回させて頂きました。富士宮では大好きな富士山を見せてもらいに行きました。恥ずかしがりやで、よく雲に隠れて全景が見えない事が多い富士山ですが、その日は雲も移り、一刻一刻色が変わる見事な赤富士を見ることができました。今一度「神様はこんなに私の事を愛していて下さる」とうれしい気分でした。神様のこうした優しさもそうですが、人の優しさが以前よりも心に沁みる年となりました。何年に一度しかお伺いしないのに、その都度心のこもった、身に余る歓迎をして下さる方々。そんなに良くして頂くことは何もしていないのに、どうしてこんなに良くして下さるのかと、正に値しないのに与えられる主の恵みを思います。そしてそうした優しさでどれだけ私の心が癒され、温められ生かされたか知れません。私もそんな風に人々に優しくできる者にして頂きたいと祈っています。両親や家族に対しても、兄弟姉妹方にも、たまにしか会う事のない方でも「優しくしてもらった」と感じてもらえるような、そんな者となれるよう御祈り下さると感謝です。と同時に、この新しい年の御奉仕、確かに人が変えられていくご奉仕がしたいです。人々が確かに主を知り、主を知ることにより、生き方が変わる様な、そしてたとえ長い時間がかかっても、そうした変化が、周りにも、日本にも世界にも変化を与えて行く様な、そんな御奉仕をさせて頂ければと願っています。共に御祈り下さると感謝です。皆様の上にもこの新しい年、主の溢れる祝福が豊かにありますように御祈りします。
【祈りの課題】
1.新しい年、木下師がいつも人々に優しい者となれるように。また人々が主に在って確実に変化していくご奉仕をさせて頂ける様に。
2.台湾活水泉のテラ師が毎週聖書研究をしている女性が主の祝福と癒しを体験し、活水泉の礼拝にも来る様になり感謝。この方が今の仕事と違う仕事を見つけられ、勇気を持って信仰の一歩を踏み出せる様に。


「苦難の中の感謝と喜び」
カンボジア プノンペン 菅家庄一郎、容子

チャリヤさんの一家と腰の手術をしたお父さん  聖書研究に忠実に来ているチャリヤのお父さんは、私達の集う新エルサレム教会の役員です。彼の家族は、プノンペン郊外の中洲に住んでいて、そこでも開拓伝道をしており、その教会のリーダーでもあります。茶目っ気たっぷりで、子供たちにも慕われているお父さんが交通事故に遇ったのは、六月のことでした。すぐに近くの病院に運ばれ手術しましたが、二ヶ月近い入院を余儀なくされました。お見舞いに行く度、励まされました。「神様になぜ、と問うのはやめました。ただ、神様が私の命を守り、また、半身不随からも守ってくださったことを感謝しています。それより、この国のために祈ってください。この病院では、お線香をぶつけ合わせて、交通事故が増え、患者がきて儲かるようにと願をかけているのです。」その病院で手術の際、背骨に入れた金属を止めるのに針金を使用していたことが原因で痛みが取れず、タイに行って再手術しなければならなくなりました。先日バンコクで手術し、なんと次の日曜日には教会に来て、証をしてくれました。四歳で父を、八歳で母を亡くし、その後お寺に身を寄せ、ポルポト時代には次から次へと兄弟をも亡くし、天涯孤独になった彼が福音を聞き、どのように希望が与えられたか。自分には、頼りになる親族がいない寂しさを抱えていたが、入院中、主にある兄弟姉妹が次々と訪問し祈ってくれた。誰も来なかった日は一日しかなかった。不思議に神様が必要を満たし、再手術がかない、こうして歩けるようになった。彼の口からは、事故や病院の不手際に対する恨み言は一言も出てこず、ただ主への感謝とユーモア一杯の証に、会堂は笑いが溢れました。私の心は、このような苦しみの土地に、このような信仰者を生み出される主への賛美で満ちていました。(容子)
 王立大学で第九回カンボジア社会・文化問題研究会議が三日間に渡って行われました。若いカンボジア人や外国人の大学教師がそれぞれの研究成果を発表していました。「キリスト教文書の中に見られる西洋的なイラストなどがカンボジア文化に与える(悪)影響」という講義においては、オーストラリア人の教師が、上記の問題を指摘しました。 質疑応答の時間になり、イラストとは全く関係なく「イエスキリストとはいったいだれですか?」とか「神が人を愛するとはどういうことですか。」という本質的な質問がなされましたが、その教師は答えることができませんでした。また、「キリスト教の学生寮の働きを通してのカンボジアの大学生の回心の状況」という調査発表がカンボジア人で仏教徒の教師によってなされました。田舎から上京し大学で学ぶ学生たちの多くが、キリスト教主義の学生寮に入り、クリスチャンになっている事実が、仏教徒たちにとっては脅威に映るようでした。いずれにしても、このような場で、クリスチャン大学教師として堂々とキリスト教的世界観に基づいた研究発表ができる人材が起こされたらなと祈りつつ会場を後にしました。(庄一郎)

【祈りの課題】
1.クリスマスの諸集会に参加した学生たちの中から、求道する者、イエスキリストを信じる者が起こされますように。
2.ティン兄は中州の教会で定期的に説教をしています。彼が説教者として成長しますように。チェットラー兄は、教会の青年会会長として、どうしたら一人一人がデボーションをもつようになるだろうかと考えています。菅家師が若いリーダーたちに適切なアドバイスをすることができるようにお祈りください。

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