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2007年4月号  page1  page2


「アブドラとサイフディンの物語」

写真と内容とは関係ありません アブドラの物語
長年の不妊期間の後、アブドラの両親はドゥカン(祈祷霊媒師)に助けを求め、どんな子でも子供が生まれたら捧げると約束しました。そしてドゥカンは一連の呪いを行い祈祷をささげたところ、それから母親は妊娠し、アブドラが生まれました。
それからほどなく、人々はアブドラに特別な力が備わっていることに気がつきました。力が他の人々よりぬきんでいただけではなく、彼にはナイフも役にたたないのです。ある男がカッとしてナイフで彼を刺そうとしたにもかかわらず、その刃はアブドラの身体にささらなかったのです。
このことがあってから、人々はアブドラを見に来るようになり、その地域で力あるドゥカンとみなされるようになりました。
写真と内容とは関係ありません ある日、数名のアジア人のクリスチャンがアブドラの隣に引っ越してきました。彼らは自らをクリスチャンと自称しませんでしたが、やがてアブドラとも仲良くなりました。
それから少しして、一人の青年がアブドラたちに近づきました。彼は親しみやすく、まもなく彼はアブドラに福音を伝えたのです。福音は彼の心に触れ、アブドラは他の三人のイスラム教徒の友人たちを招いてキリストの話を聞きました。やがて彼らは定期的に集会を持つようになり、四人全員がイシャ(イエス)を信じたのです。
新しい信仰に心躍らせて、彼らは更に他の人々を誘い、やがて集会は十二人となりました。一人はもちろんアブドラでした。
写真と内容とは関係ありません ある晩、イシャ・アル・マシ(救い主イエス)についての話が終わった後で、アブドラは皆の前で立ち上がり、自分はキリストに従って行きたい、と公言しました。そして身につけていたお守りをはずし、火の中に投げ入れたのです。この公での信仰の証に他の参加者も深く感動し、彼らもイシャを信じる決心をしました。翌日、数世帯の人々が集会に加わり、人数はさらに20名になりました。そしてこの20名がさらに他の人々にも福音を伝えていったのです。
約一年後、あのクリスチャンの働き人たちが村を去った頃に、集会は百名にまで成長していました。しかし、悲しいことに集会の中に弟子訓練ができる者がいなかったため、参加者のほとんどが以前の生活に戻ってしまいました。
しかし、神はこれらの人々をあきらめてしまうことはありませんでした。四年後、働きが新たに活性化されるように、神は再び、望みを伝える新しいメッセンジャーたちを送られました。信仰者が霊的にさらに成長するように、また、新しい信仰者がさらに起こされるようお祈り下さい。
写真と内容とは関係ありません サイフディンの物語
サイフディンは妻のナーがクリスチャンであることが常々気にさわっていました。そのために、妻につらくあたることもありました。
サイフディン達が住む村が大嵐に見舞われた一年後、村人の多くがイシャ(イエス)を信じました。しかし、サイフディンは交通事故にあってしまったのです。
車中の他の人々は全員、命を落としてしまったにもかかわらず、サイフディンは助かりました。しかし左足に大怪我を負ってしまったのです。
村人達は彼の左足が良くなるようにと、いろいろ手を尽くしてくれましたが状況は全く良くなりませんでした。そして妻のナーはクリスチャンたちに助けを求めました。このことを知ったサイフディンはもう反対しませんでした。この時の彼は必死で、もう何でも試してみようという気持ちになっていたのです。クリスチャンたちは彼のために祈りました。村人たちもそれを見ていました。そして一カ月後、サイフディンの足は完全に癒されていたのです。村のイスラム教徒達は余りにも早く彼が回復したことが信じられない思いでした。
写真と内容とは関係ありません 結局、サイフディンはイシャ(イエス)に自分の人生をささげました。彼は村で影響力のある、よく知られた人物だったため、多くの人々がキリストを信じるようになり、やがてサイフディンは家の教会のリーダーになりました。
それから二、三ヶ月後、受洗についての論争がもちあがりました。結局、いつ、どのようにして洗礼を受けるべきかは、その受洗者本人が決めるべきであるということで合意が得られました。
ある月夜の晩、二番めのグループが信仰に入って九ヵ月後、二十五人が受洗しました。
受洗式の後、受洗した人々は家族や友人らをお祝いに招きました。百人ほどがやって来て、この土地の人に分かり易く作られた福音映画を観ました。上映中誰も話しも動きもしませんでしたし、映画が終わった時もその場は静寂に包まれていました。
二、三日後、イスラム教の教師があるクリスチャンの家の戸をたたきました。「聖書が読みたいのだが」と彼らは言いました。キリストについてもっと学びたいというのでした。


「森進は金の恩に」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

伝道説教するジェムエン師  ハマチ、メジロ、ブリ。みんな同じ魚。大きくなるにつれて名前が変わります。ミェン族も大人になると名前が変わります。
 ミェン宣教教会のジェム・エン牧師の子どものときの名はセン・ツィンでした。お父さんの名前ヤオ・ツィンの後半一字「ツィン」(進)を嗣ぐことになっています。前半字は親の判断でつけます。両親はセン(森)とつけました。彼らの姓はツェーウ(趙)さん。それでフルネームは趙森進。
 結婚すると大人名を得ます。名の前半字は同じ家系の十二字の中から順に決まります。父の前半字ヤオ(有)の次はジェム(金)と決まっていて、後半字は自分で選べます。彼は神の恩寵を謝しエン(恩)とし、趙金恩になりました。
 結婚し、教会の責任を持ち、子どもも生まれ、大人の名前で呼ぶべきなのに、彼の子ども時代を知る人は、つい子ども名で呼んでしまう。しかし彼の献身とリーダーシップを見、説教を聴いていると「ジェムエン先生」と呼ぶ人が増えてきます。「金」の字はミェン族にとって高貴、純粋のイメージ。
 かつて、人格が伴わないのに大人名で自分を呼ばせようと他人に要求したミェン族の説教者がいました。ヤコブ(押しのける者)がイスラエルと呼ばれるようになったのは、彼が神の使いと四つに組んで格闘の祈りをし、内面が真に新しくされたからでした。ミェン族の牧師たちが(私自身も)名実相伴う統一された人格を持つことができますようにと祈ります。(達朗)
毎月村へ伝道に行く宣教教会の青年たち  二月号で紹介した、もと下宿人ナイツォイ姉は、今アメリカのペンシルベニヤ州にいます。ベビーシッターの仕事をしながら英語を学ぶという企画に応募しました。
 「ここのお母さんはクリスチャン、と言っているけれど教会に行ったり、聖書を読んでいるのを見た事がありません。本当にクリスチャンなんでしょうか。私は教会に行って礼拝したいです。祈ってください。」と彼女から祈りの要請のメール。お祈りください。
 巡回報告は只今関東地区。暖冬と言われ、確かに雪のない沖縄、関西、東海と北上。三月からの関東巡回を前に北海道に帰りましたら、寒波と大雪が私達を歓迎してくれました。真っ白い雪に囲まれ、肌を刺すような冷たさに、何だか嬉しくなりました。(たまみ)

【祈りの課題】
1.タイの暫定政権が早く選挙を行い、国民に選ばれた政府が機能するように。南部でのテロが止むように。タイ正月(12〜15日)にも首都バンコクやチェンマイでテロが起きないようにお祈りください。
2.機会を用いて達朗師、たまみ師のご両親、ご兄弟たちに福音を伝えることができるように。聖霊によって救いの必要を自覚し主を信じることができるように。6月にタイに戻る前に、一人でも救われるように。


「恐れのなかで主を仰ぐ」
カンボジア・クロチェ  今村裕三、ひとみ

ソッピアップちゃんの救いのためにお祈り下さい。  コン兄はクラチェ教会のリーダーの三人の中の一人です。ある日突然「リーダーを辞めたい。どこか遠いところへ家出をするかも知れない」と言い出したそうです。娘婿がコン兄に異教の神を拝むように銃で脅かしたのだそうです。娘婿は政府高官のボデイガードで、自分も地位が高いかのように錯覚している節があります。
 その後、私はコン兄が礼拝を休んだので、少しこわごわ訪問に行ってみました。娘婿は外出していていませんでした。少しホッとしました。娘と話しをしましたが、娘は父親より夫の肩を持っているようで、「銃で脅かしているのよ」と銃で撃つ真似をして、まるで人ごとのように話します。コン兄は家族の中で唯一のクリスチャンです。クリスチャンになる前は三回も妻を変えたりなどと、若い頃はかなりやんちゃだったようです。
 私は「コン兄にもう二度と会えないかも知れない。」「三人しかいないリーダーがまた減るのか!」などと思いました。祈りが積まれた結果、コン兄は礼拝にやってくるようになりました。娘婿に「どこに行く!」といわれコン兄は「ちょっと市場へ‥‥」と言って出て来たのだそうです。三週間後、娘婿はプノンペンに仕事のために帰りました。その間、コン兄は少し変化が見られました。以前は人の顔色を伺いながら説教していたのですが、他の人の顔色を見て話さなくなり、顔に輝きが見られます。コン兄を含め周りの人は「勝った!」と嬉しそうですが、娘婿は四月にまたクラチェに帰って来ます。一時休戦と言ったところでしょうか? このことを通しコン兄の信仰が更に増し加えられるようにお祈り下さい。(ひとみ)
 昨年十一月号で紹介したリン姉の身の回りのお世話をしているのは、孫娘のソッピアップちゃんです。年齢は十二歳ですが、小学校五年生の勉強をしています。彼女は、親元から離れ、祖母にあたるリン姉と一緒に生活しています(両親からあまり顧みられていないという理由もあります)。彼女は、右足が不自由で、補装具をつけて生活していますが、働き者です。近くといっても数百メートル離れている公共の井戸からの水汲み、そして水を沸かしたり、洗濯をしたりしています。リンおばあさんは結構厳しくソッピアップちゃんを躾けています。お客さんが来ると、あの器に入っている水を沸かしなさい。その鍋を使って!そのコップを持ってきて!などなど。中学校三年生のクメール語の勉強をしている私とクメール語はどっこいどっこいですが、なんとか福音を伝えたいと願っています。クリスマスにシンガポールから中高生が来てくださったときは、ペープサートでイエス様降誕の話しをしてくれ、彼女はクリスマスの意味がよく分かったと言ってくれました。先日は、小学生用の読み物の小冊子を渡して、その次に訪問したときには、面白かったと言ってくれました。外国人だから「分かった。面白かった。」と言ってくれているのかもしれませんが、彼女がおばあちゃんの信仰を受け継ぐ者となるように祈っています。皆さんも祈ってください。(裕三)

【祈りの課題】
1.4月上旬に洗礼式を予定しています。洗礼式を受ける兄姉がこれからも主を愛し、主の愛の理解が深められていけますように。また、洗礼を受けている兄姉も、初心の愛に返ることができますように。
2.様々な迫害を受けているクリスチャンのために。4月はクメール正月を迎えます。様々な行事のなかで、地の塩、世の光として、クラチェの地で用いられますように。


「グループ・ホーム開設!」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師

グループ・ホーム開所式  団塊の世代の定年の年を迎え、チェンマイの街にも熟年のご夫婦を今までよりも多く見かけるようになりました。しかし、最近、あらためて見直されて来たことは、このような方々の老後と最期はどうするか、ということです。今は、元気で、ゴルフや趣味、ショッピングしか考えないようにしている人が多いようですが、自分のこと、ひいては、年老いた親御さんをかかえてのチェンマイの生活で、現実には何か施設や病院がどうしても必要だけど‥‥という深刻な問題です。これはチェンマイに限らず、どこの国のロング・ステイを考える方々にも現実の問題となりつつあります。最近もチェンマイの情報紙でその必要が訴えられたばかりでした。
日本のクリスチャン・ピエロO兄が施設慰問  昨年クリスマスに受洗されたN姉は日本の、元病院の婦長さん、そして定年退職後は、グループ・ホームの施設でも奉仕されておられました。七十歳を超えてもビジョンを持ち、新しいことを創める意欲に燃えています。そのNさんが、長年あたためて来た、グループ・ホームを作るという夢を、このチェンマイでついに実現されました。大き目のタイ風の、そして近代的な屋内設備をも備えた一軒家を借りてグループ・ホーム「オリーブ」がスタートしました。すでに九十一歳になられる御婦人がショート・ステイをもされました。私がお訪ねすると、この方に「お父さん、お帰りなさい」と言われます。
 二月二五日(日)午後の「オリーブ」開所式は私が司式し、詩篇九二篇一四節「彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、生い茂っていましょう」を読み、たくさん水を飲んでいつもみずみずしく、そして、多くの方々が永遠の命を経験する家となりますようにと語らせていただきました。(孝篤)

【祈りの課題】
1.チェンマイ教会の関係者による、グループ・ホーム「オリーブ」と、カレー・ショップ「はれる屋」の祝福をお祈り下さい。
2.10月から日本へ一時帰国する野尻宣教師夫妻の留守中を奉仕される器が備えられますように。

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