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2007年5月号  page1  page2


「漢民族」

中国のある町の雑踏で  十三億を超える漢民族は世界中で最大の民族です。
 時に漢中国人とも言われる漢民族は、中国国民の大多数をしめる民族です。中国国民は国籍としては中国人ですが、民族的には全てが漢民族というわけではありません。それでも、ほとんどの場合漢民族イコール中国人のように呼ばれます。
 漢民族は中国本土および世界中に離散している中国人人口の九十二パーセントを占めています。彼らは公的に認められている中国の五十六の民族の一つなのです。
言 語
 言語は北京語(中国語で普通話と呼ばれる)が中国の公用語です。母国語として普通話を話す人々の人数は七億八千万人から十億と様々な推測がありますが、中国の他の漢中国人や少数民族も学校で普通話を学んでおり、三年生以降の教育は全て普通話で行なわれています。
 言語学者の推測では世界中で普通話を話す人々は二十億にのぼるとされています。普通話の標準的な会話の形は、北京で話されている形が基になっており、中国のメディアや教育に用いられることになっています。
 普通話を話す人々の間には、どこに住んでいても一般的に相互理解があります。さらに、普通話以外にも漢民族の方言は六百ほどもあるとされていますが、書き言葉は共通して一つのものが用いられています。
 広東語、客家語、福建語などよく知られ、広く話されている方言もあります。言語学者のほとんどはある特定の方言は別の言語として分類すべきだと主張しています。
歴史と文化
 漢民族が中国を支配した歴史のため、中国の歴史と文化のほとんどは漢民族のものです。漢民族は五千年余の記録に残る歴史を持ち、紙、火薬、羅針盤など様々なものを発明しました。さらにグーテンベルグに七世紀も先立って印刷技術を極め、色とりどりの花火の発明者でもあります。
 彼らは中国本土、台湾、香港、マカオに、そして又、シンガポール、マレーシア、フィリピンにも集中して住み、その他世界各地に離散して住んでいます。
 中国語の様々な方言は、中国各地で聞かれます(特にほとんど普通話を基に生まれた方言が多い中国北部)が、中国南東部は非普通話系の方言を今も保持し続けています。
宗 教
 伝統的に漢民族は儒教、道教、仏教、祖先崇拝がまじった宗教を保持しています。これらが共になって中国の宗教と呼ばれます。
 今日、中国本土の約半数の漢民族は無宗教で、だいたい二十五〜三十パーセントが中国の宗教を慣行しています。香港や台湾、そして他の国々でもほとんどの漢民族が中国の宗教を信じて暮らしています。インドネシアのクリスチャンの多くは民族的に中国人です。
ある街角で キリスト教
 紀元五〇五年には既にネストリウス派のクリスチャン達が中国に入ったといいます。しかし伝承によれば使徒トマスが、インドで殉死し埋葬される前に、中国を訪れていたともいわれています。
 唐王朝時代、ネストリウス派のアロペン司教が中国に到着。司教の教えは中国の皇帝をして「あらゆる生き物にとって役に立ち、全ての人民に恩恵を与えるもの」と言わしめ、国中で説教することを許されました。
 しかし、ネストリウス派教会のリーダーの多くは民族的にはチュルク人で、これが災いしてその後ネストリウス派は永続する影響を残すことができませんでした。
 一二七五年、クビライ・ハーンはローマの教皇に手紙を送り、科学と宗教の教師を百人送ってくれるよう求めました。
 それに対する応答はすくなく、実際に中国へ向った人々はさらにわずかでした。クビライ・ハーンの死の少し前、初めてのローマ・カソリックの宣教師、フランシスコ派の僧侶一名が一二九四年に中国に到着しました。しかしそれから百年足らずの明王朝時代に中国からキリスト教はほとんど消え去っていました。
 その後一五八三年イエズス会のマテオ・リッチが到着するまで、中国の漢民族の教会事情についてはあまり記録がありません。リッチは特に中国の貴族や学者に近づきました。彼は非常に尊敬され、その死に際しては皇帝により、中国の名誉市民とされたほどでした。
 リッチが天に召されるまでには、既にクリスチャンの人数は四百人になっていました。そして五十年後には十五万人に達したのです。
 中国に入った最初のプロテスタント宣教師は一八〇七年に中国に到着した、ロンドン・ミッショナリー・ソサエティのロバート・モリソン師でした。以前から部分的ながら聖書は中国語に訳されていましたが、モリソン師は系統だって翻訳を進め、中国語聖書を刊行しました。一八四二年、南京条約が第一アヘン戦争を終結させ、宣教師の働きも含め、外国人の目が中国に注がれ始めました。中国の開放の世紀が始まったのです。
 中国奥地伝道団(OMFの前身)の創設者ジェームス・ハドソン・テーラーは一八五三年にまず中国にわたり、漢中国人への働きを始めました。当時の宣教師らは皆中国沿岸部のわずかな町で生活し、働いていました。
 その後の一八六五年、クリスチャンが皆無の奥地の膨大な必要に対し、重荷を覚えたテーラーはCIM(中国奥地伝道団)を創設。CIMは漢中国人のみならず、中国の少数民族に焦点をあてた最初の団体となりました。
 一八六九年までには三十の異なる教派からの四百人の宣教師が中国で働いていました。一九二六年にはその人数は八千人を超えるまでになっていました。中国の開かれた門戸は共産主義者達が中国全域を支配した一九四九年十月一日に閉じられてしまいました。一九五三年に最後の宣教師が中国を出国した時、中国には七十五万人以上の中国人プロテスタントクリスチャンがいたのです。多くの少数民族もいましたが、その中の大多数が漢中国人でした。
 その時以来、中国は教会史上最大のリバイバルの一つともいえるリバイバルを経験しました。東部のいくつかの省では三十年間も継続した教会成長が起こっています。こうした成長も多くは漢中国人の中で起きています。
 一九五〇年代に不本意ながら中国を出国せざるを得なかったCIM・OMFは、その働きを東アジア全体に拡大させました。まずは東アジア各国の中国人、そしてあらゆる民族へ。
 今日、OMFは今も中国や東アジア、欧米に住む漢中国人への働きを続けています。中国のクリスチャンと喜んで共に働き、その生き方によって周囲の人々に証しすることを願う専門職を持つクリスチャンのために中国での働き口を見つけています。
 今では人口の七パーセントがクリスチャンといわれています。しかし迫害は依然として存在し、複数の地域で迫害は激しいままです。
 今日では聖書もいくつかの翻訳で出されています。キリストの生涯のビデオや福音メッセージ、伝道ラジオ番組なども普通話や他の方言で提供されています。こうしたすばらしい進歩がとげられてきましたが、福音を知らない漢中国人はまだ何百万、何千万もいるのです。


「自立した教会への道」
カンボジア・クロチェ  今村裕三、ひとみ

宣教ツアー参加者の皆さまとともに  いつも沢山のことについてお祈りいただき感謝です。今日は祈りの実について報告します。
 私は教会の奏楽のことでずっと祈っていました。セイハー先生しか楽器を弾ける人がおらず、困っていました。私は若者の中で誰か楽器に興味のある人が与えられるように祈っていました。神様の答えは、三月号でお祈りいただいたトレイ兄(元教会のリーダー。娘を人前で殴って、教会のリーダーを降り、教会を一年あまり離れていた人)が弦楽器を弾く奉仕を自主的に始めました。最初はセイハー先生との息も合わず大変でしたが、最近は良い感じに合うようになってきました。トレイ兄自身も教会で居場所を見つけた感じです。当初の私の思いとは違いますが、神様は良い祈りの結果を与えてくださいました。
 先月号でお祈りいただいたコン兄(義理の息子に銃で脅され、異教の神を拝むことを強制された、教会のリーダーの一人)の家に毎週訪問に行っています。娘は結婚前に教会の青年会によく出入りをしていました。その娘は父親が自分の夫に銃で脅かされたことを何の驚きもなく私に話していました。私は心密かにこの娘は神様を信じるのはむずかしいかも知れないと思っていました。その娘が突然、教会の礼拝にやって来ました。途中で帰ってしまったのですが、私にとっては思いもよらない事で驚きと感謝でした。その後、訪問したとき、娘と話していると、なんと四月中旬まで返ってこないはずの義理の息子が、いきなり帰ってきました。私は心の中で「この人が銃でコン兄を脅かしたのか!」と思い、おしりが浮きかけ帰りたくなりました。しかし、「これは神様が与えてくださったチャンスだ!彼は酔ってはいないし、私に銃を向けることはないだろう」と思い、彼としばらく世間話をしました。彼は思いの外、機嫌良く私と話してくれました。全くキリスト教が駄目ではないようです。コン兄は「私も驚いた。でも大丈夫そう!」と話してくれ、翌日の礼拝にも来ることが出来ました。岩のように動かないと思っていた出来事に動きが見られています。祈りの力の素晴らしさに改めて感動です。コン兄の家族が全員救われるようにお祈り下さい。(ひとみ)
 三月上旬に母教会の京都福音自由教会の皆さんが訪問してくれました。クラチェの教会の兄姉に会うために、町だけでなく村にも訪問に行き、カンボジア宣教の現状を見ていただきました。「ニュースレターの行間を埋めるような宣教ツアーだった」という感想を頂き、主の導きに感謝しました。是非、「ニュースレターの行間を埋める」ために、宣教地においで下さい。そして、具体的な状況を知っている祈りの友になってください。
 また、多くの参加者が、子ども・青少年伝道の必要を覚えられたのは驚きと励ましでした。私たちは前の宣教師からの引継ぎの際に、こう言われました。「今まで宣教師が先導して教会学校をしてきたが、いつも最後には宣教師しか残らず、継続することができなかった。だから、宣教師が始めるのではなく、教会学校に重荷を持って始めたいという兄姉が出てくるまで待ってくれ」。現在、一人の姉妹が祈り始め、もう一人同労者が与えられるように祈っています。どうか、教会学校が教会員主導の元、再開できますように、お祈り下さい。子ども・青少年伝道の必要性については次回に。皆さまのお祈り・献金に感謝して。(裕三)

【祈りの課題】
1.母教会の京都福音自由教会の主任牧師が4月末で他教会に移動します。相応しい後任の牧師が与えられますように。さらに世界宣教への重荷が増し加えられますように。
2.教会学校再開のために。重荷を負って始めたいと思う兄姉が与えられますように。


「宣教ツアーを迎える」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師

宣教ツアーの兄姉の礼拝での賛美  四月の一番暑い季節、外を歩くとクラクラします。私の部屋で三十六度。クーラーをつければ良いのですが、部屋の外や家の外にちょくちょく出るので温度差にかえって疲労を覚えますし、人間の耐えられる極限状態に耐えている、というような気分が好きで、扇風機の温風の中で過ごしています。そんな中で血圧が日本にいる時よりも、全く正常にいやされてきたのは本当に感謝です。
森本宣教師ご夫妻に聞く  三月始めには私たちを派遣している東京フリー・メソジスト教会の群れから、十四名の宣教ツアーをお迎えしました。外国にいるとふと、日本の皆さんからの応援や精神的支援が感じられないような孤立感を感じますが、そのような気分を吹き飛ばしてくれるうれしい慰問でした。チェンマイでは一般日本人の方々に触れ、また、日本語教会の兄姉が取り組んでいるNGOの働きの中にあるタイの人達やボランティアの日本人の方々に会い、バンコクでは近畿福音ルーテルの杉岡直樹宣教師のお働きや、タイ宣教四十五年の森本憲夫先生ご夫妻のご苦労と主の御真実のお証しにも触れる機会をも得ました。最終日、体調を崩した方が二人ありましたが、皆さんの必死の看護と、主の御名による祈りのいやしで半日で元気になられ、無事帰国されました。それぞれの母教会に帰られてから「群れから牧師をチェンマイに送った意義を感じた」と語られるに違いない宣教ツアー報告が楽しみです。
 ホッとする間もなく、急に、沖縄からのゴスペル・グループのグロリアの方々を、十四名お迎えする話が急浮上し、思い切って伝道的なコンサートを四月末、開催します。多くの教会員が本帰国、一時帰国している中で「沖縄の歌とゴスペル・コンサート」と題してチェンマイの全邦人に福音を!と夢見ています。(孝篤)

【祈りの課題】
1.沖縄の賛美グループ、グロリアを迎えて4月29日(日)礼拝と午後は「沖縄の歌とゴズペル・コンサート」が開かれます。求道者がこのコンサートを通して起こされるように。
2.3月をもっての本帰国、または暑さを避けての数ヶ月の一時帰国の方々が多い時期です。日本での教会生活が祝されますように。礼拝も人数がさびしいですが、新しい方々が加えられるように。


「休暇」
カンボジア  西村信恵

タイの教会でるつ記さんと  いつもお祈りをありがとうございます。カンボジアは一年でもっとも暑い季節に突入しました。私にとっては大きくて甘いマンゴを冷蔵庫で冷やし、一日の終わりにそれを丸ごと一個食べるのが楽しめる季節になりました。気候の厳しい時にも神様は楽しめるものを備えて下さっています。
 三月の初旬は、短期宣教師で来ておられた岡崎るつ記さんと一緒にゆっくりとタイで休暇を過ごしました。独身宣教師は、休暇を取るのも知恵がいります。誰と取るか?同じ独身宣教師と、同じ時期に、同じぐらいの予算で、そして、同じことをして楽しめる相手、でないといけません。せっかく決めても、どちらかの都合で変わってしまうこともしばしばあります。誰とも日にちがあわず、一人で休暇をとる独身宣教師も少なくありません。一人の場合、場所によってはかえってストレスをためて帰ってくる人もいます。私は日本人と一緒に行けることもまれです。英語を話してもリラックスできる相手、を見つけること。よい休暇のプランを立てようとするだけでストレスになったりもします。そういう中で、今回は日本人の、そして、休暇の目的も同じるつ記さんとのんびり過ごし、リフレッシュすることができたのは感謝でした。休暇中には、タイ人女性で、今度宣教師としてモンゴルへ行かれる方の壮行会にも出席する機会が与えられました。モンゴルの冬はマイナス四十度、夏は四十度になるそうです。暑いタイで育ってこられたこの姉妹が、主からの召しに応答し、その地へ旅立とうとしている姿に私自身も再チャレンジを受けました。主の言葉を、救いを必要としている人達に対する主の熱い思いが、姉妹を動かし、宣教地へ導いているその主の御手を見る思いがしました。姉妹の祈りのカードには賛美の言葉がしるされてありました。「わたし達は、わたし達の盾であり擁護者である主に憩う。私達は敵に向かっていく。一人ではなく、あなたの力によって強くされ、優しく養ってくださる方の中で守られながら。あなたの中で憩い、あなたの御名によってわたし達は出て行く。」
 よい休暇を与えてくださり、励ましも備えてくださっていた主に感謝して。

【祈りの課題】
1.ビーボル兄、スレイオン姉夫婦が初めての子供を流産し、落ち込んでいます。この夫婦がこのことを通してますます主に近くなるように、主からの励ましと慰めを経験することが出来るようにお祈りください。
2.ニャックルアン教会の教会員家族が、何人か教会の礼拝に来るようになると同時に迫害もひどくなってきました。彼らの信仰が守られるようにお祈りください。

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