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2007年11月号  page1  page2


「3年目の祝福」
北タイ・チェンマイ 邦人伝道 野尻孝篤師・明子師

受洗された3名の兄姉と。右お二人は朴師ご夫妻  洗礼式には、侵礼と滴礼がありますが、私は二十七年前、タイ人への宣教師として中央タイで奉仕している時、同労のタイ人牧師の 灌礼という洗礼の形式を初めて見ました。今回、受洗を希望している姉妹が、浸礼でしたいけれど、礼拝の中では出来ないし、滴礼よりは、もう少し沢山、水を使ってほしいとの希望で、私も初めての灌礼の洗礼式をしました。教会員苦心の洗礼槽と托鉢僧の持つ銀色の鉢でタイならではの感激の洗礼式となりました。NGOなどで働く姉妹達と、もう一人は在日韓国の方で、山の子供達に献身するために、長いこと願っていた洗礼を受け、式後、すぐに山に向かわれた壮年の方です。3年目の今年、ずーっと洗礼を受ける方が起こされませんでしたが、我が家で、毎週、間に夕食をはさみ、毎回四時間ぐらいかけて、ローマ人への手紙とヨハネの福音書を学んできた姉妹達の信仰の告白ともなったのでした。
 いよいよ帰国を一週間後にし、この三年を感謝と共に思い起こしています。我が家のリビングで七名ほどの方と共に日曜礼拝が開始されて以来、集会場を探しつつ、聖書や聖歌・賛美歌や何も備品も無い中に、教会が形成されて来ました。昨日の礼拝には三十七名の方々が集い、三年間に十回の洗礼式、十三人の方々が受洗をされたことになります。森裕理さんのコンサート二回、沖縄の歌とゴスペルの夕べなど、チェンマイにおられる日本人の方々に、福音と共に、キリスト教的な美しいものをも提供することが出来ました。こちらで受洗、結婚、そして神学校に通うことになった兄姉や、これからの四ヶ月ご奉仕してくださる朴天命・安秀珍牧師ご夫妻(日本フリー・メソジスト加古川教会本田右一牧師が私たちへの友情として副牧の器方を教会の費用負担で派遣して下さいました)、そしてまた、献身的にチェンマイ日本語教会の建て上げに労される多くの兄姉方にすべてを託しての四ヶ月の帰国報告となります。
灌礼の洗礼式(9月30日)  前月にも少しお分かちしましたが、残念ですが、OMFアソーシエートとしての立場でこれから奉仕を続けていくことは規約上、年齢的な制限があることなど、やはり動かせませんので、日本ではOMFを離れ、来年二月チェンマイに帰任する時は今までの派遣母体・東京フリー・メソジスト教会からチェンマイ日本語教会への牧師派遣という形になります。チェンマイではタイOMFとのパートナーとして現地のディアスポラ伝道の一環として継続して邦人伝道に取り組むこととなります。
 今まで、多くの方々に祈られ、支えられてのこの三年の働きでした。本当にありがとうございました。日本委員会の先生方、事務局の皆様にも心より感謝申し上げます。これからもお祈りにお覚え頂ければ本当にありがたいことです。感謝と共に皆様の御祝福を心より祈り上げます。本当にありがとうございました。(野尻孝篤・明子)

【祈りの課題】
1.野尻師夫妻は、10月から12月まで東京、1月は関西方面での帰国報告の時が予定されています。チェンマイには2月10日に帰る予定です。これからの奉仕とご支援のためお祈りください。
2.10月から2月初めまで、4ヶ月のご奉仕をされている朴天命師・安秀珍師ご夫妻の祝福と安全のために。タイは初めてでタイ語は全然分かりません。


「神にはできる」
ジェームズ・ハドソン・テーラー IV 世

 一八〇七年九月、二十五歳のロバート・モリソンは、イギリスから中国への七ヵ月の船旅に出ようとしていました。彼は神の召しに従い、初めて中国へ入るプロテスタント宣教師として、三億五千万人の中国の魂のもとに福音を携えて行こうとしていたのです。
 モリソンは船の甲板に立って、岸にいる溢れんばかりの群衆を見つめていました。彼は旅の初めに、いかにも身なりのよい紳士に尋ねられたことを思い出していました。彼はモリソンにこう尋ねました。「あなたは中国に深く根付いている偶像崇拝の伝統に、影響を及ぼせると本気で考えているのですか?」「いいえ、私にはできません。」モリソンは続けてこう答えました。「でも神にはおできになると信じています。」
 今日の状況を見る時、私たちは同じような天的な観点から物事を見ているでしょうか?私たちは、モリソンが持っていた「神にはできる」という観点から、何を学ぶことができるでしょうか?何がこの若い宣教師をこうもきっぱりと返答させえたのでしょうか?
 「神にはできる」なぜなら神は一人も滅びることを望まず、( II ペトロ三・九)全ての人々が救われることを望んでおられるからです。モリソンはこの神のみこころに従い、信仰によって家族と祖国を後に残し、主のために中国へ向ったのです。今日、私たちには中国の失われている魂のためにこのような重荷を持つことが、切実に求められています。
 「神にはできる」なぜなら、神は彼に捧げられた人生を通して偉大なことを成し遂げられるからです。もちろん、モリソンは自分の前におかれた困難を過小評価してはいませんでした。彼は友人にこう書き送っています。「友よ、働きは非常に困難なものです。払わねばならない代償について慎重に検討して下さるようお願いします。」
 モリソンは神に自分を最も困難な地へと送って下さるよう願い、二十七年間忠実に証しを続けました。当時彼は自由に福音を説教することはできませんでしたが、彼の生き方そのものが証しとなったのです。
 過去十年以上にわたって、主は、その人生と職業を大宣教命令のために進んで捧げる中国人の兄弟姉妹達を、多く起こして下さっています。自分の専門職をただの生活手段とみなさずに、「自分の専門は、大宣教命令のためにどう活かせるのか?」という重要な問いを追求しています。
 アジアの人口の八十パーセントが伝統的な宣教師を受け入れない国々に住んでおり、ほとんどの人々は、これらの国々が福音に対して閉ざされていると考えています。しかし、実際にはこうした国々は、彼らの中で働くクリスチャンを暖かく迎え入れています。クリスチャン達がその専門職を活かす時、彼らはキリストの香りを放っているのです。それはしばしば言葉よりもはるかに雄弁に語るものなのです。
 モリソンの「神にはできる」という観点は、聖書に書かれている神の御約束の確かさに対する固い信頼を表しています。そして神はモリソンを聖書翻訳の働きのために備え、彼の中国での二十七年間のほとんどは、聖書翻訳に費やされました。
 最近、私は神が中国北東部でなしておられる奇跡のような報告を聞きました。かつてないような福音を語る機会と弟子訓練の機会が与えられています。又、異端の教えの台頭や物質主義の圧力の中で、クリスチャン達は信仰を強化するべく正しい聖書の学びを受けたいと願っています。
 「神にはできる」、なぜなら神は全てのものの創り主であられ、ご自身の良きわざを成し遂げられるからです。昔、モリソンはこのように思ったに違いありません。「私は何者だというのだろう?人生を変える福音を、これほど広大で歴史のある国にもたらせると思うなんて、思いあがっているだろうか?」しかし、彼の信仰は揺るがなかったのです。
 宣教大会でよく聞かれる質問は「私はその働きにふさわしいでしょうか?」というものです。モーセの最初の八十年間の人生がそうであったように、人々はこの問いの前で尻込みします。しかし、モーセとモリソンの人生は、それが私たちができるかできないかの問題ではないことを表しています。確かに私達はこの膨大な働きにふさわしいほど偉大な者ではありません。しかし神には可能です。神はおできになるのです。


「玉石混淆(ぎょくせきこんこう)から婦人パワーの輝き」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

宣教地図の前で  「だれも赴任したがらない教会」(九月号参照)。その意味が分かってきました。
 サッチ(タンマジャーリク)教会の登録された教会員は約二百人。うち、礼拝出席者は二十人から三十人。真に新生したクリスチャンは十人以下の婦人たちだけ。この婦人たちが水曜と土曜の夜の祈祷会で祈ります。
 礼拝説教に対する反発と抵抗があからさまに出始めました。「聖書に書いてあることばかり言われてもこまる。賭博は買い物と同じなのだから問題ない。正しいことばかり教えても、完全に従える人は誰もいないから、ああいう説教は迷惑だ」。
 一方、夜の祈祷会に集まる婦人たちは「ひるまず語り続けてください。戦いましょう。彼らを真の悔い改めに導くことができるのは聖霊だけです」と励ましてくれます。そう言えば着任したばかりのとき婦人たちからこう言われたのを思い出します。「彼らは信仰によって義と認められるという教理に反抗しようと、てぐすねひいて待ってます。受けて立ってください」と。
 二十年以上前、この村と隣のアカ族の村の中間地点で、アカ族で奉仕するOMF宣教師が殺害されました。彼の説教に反発する者の仕業でした。聖書的説教には危険が伴います。主の守りと勝利をお祈りください。(達朗)
 「久しぶり。来てくれてありがとう。」三年前のクリスマスにシンガポール日本語キリスト者集会の中高生たちと訪問したミェン族の村、クローンラーン教会。私たちの住むチェンライから南下すること五百五十キロ、さらに西へミャンマーとの国境に向かって五十キロ走ったところだ。他のミェン族の村から離れているので、宣教師たちも頻繁には訪問できない。役員達と新婚の牧師夫妻は「見捨てられたのかと思った。」と正直に打ち明けてくれた。
 教会が宣教師から一応自立したとは言え、牧会訪問を待ち望む気持ちは何年も続く。特に中国人やミェン族はその気持ちが強いと言う。訪問したいのは山々だ。しかし現在三人の宣教師で約二十教会と伝道所をどうやってカバーするのか?(たまみ)

【祈りの課題】
1.9月にタイを訪れた達朗師の母上が、札幌で教会に通い、聖書の学びをすることができるようにお祈りください。
2.サッチ(タンマジャーリク)教会の多数は、有澤師の礼拝説教に対して強い反発と抵抗をしています。一方では、「ひるまず、真っ直ぐ語ってください」と言う新生したクリスチャンがいます。彼らが強められ、生まれ変わっていない「教会員」への力強い証し者として用いられますように祈ってください。協力的ではあるものの、霊的なことに鈍い2人の男性の目が開かれますように。


「AFMC5とその後」
日本 佐味湖幸

京都でのAFMC5報告、証し会  九月は前月インドネシアで行われた宣教大会(AFMC5)を振り返る機会が何度か与えられた。大阪OMF祈祷会と二十九日に京都福音自由教会をお借りしてもたれたAFMC5報告証し会&OMF祈祷会である。
 これらの集会の準備にあたり、私自身もう一度大会のノートを開き、語られたメッセージや分科会で分かち合われたことなどを思い出し、非常に恵まれた。写真をスライドショーにまとめながら、アジアの各地から集まってきた参加者たちのことに思いをはせた。特に、最近国際ニュースで大きく取り上げられているある国からは、六人の参加者があったが、彼らの写真を見ながら、この国の混乱が早く治まるように、兄弟姉妹方が守られるように、民主化し信教の自由が得られるようにと、祈りに熱がこもった。
 京都での集会には、AFMC5参加者(京都から三名、名古屋から一名)それぞれの証を伺うことができた。神様がこの集会を通して、それぞれに何を教えて下さったか、そして、今、それぞれが遣わされているところで何をなすべきかなど、聞いていて、とても励まされた。今後さらに、それぞれの教会で、大学のキャンパスで、また、職場で、この恵みが分かち合われるように祈る。参加者の中から、将来、主の働きに召される人が起こされるようにと祈る。
 大会中、知り合いになったあるインドネシアの女性からメールが届いた。日本の総理大臣が辞任したと言うニュースを聞いて、「大会以来、日本のために祈ってきた祈りの答えだと思う」と言ってきた。「そういう捉え方もあるか」と、ちょっとびっくりしたが、「今後も、この国のためにとりなして欲しい」と返事をした。祈りの交わりが広がり始めたことも、恵みのひとつだ。

【祈りの課題】
1.OMFの働きのために、また、アジア宣教のためにとりなす人が起こされ、OMF祈祷会がさらにいろんな地域に広がっていくように。
2.来年初めに予定されている祈りのツアーや短期宣教旅行の計画と準備のために。

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