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2008年2月号  page1  page2


「中国内のチベット族」

本文と写真の人物とは関係ありません  チベットのような所は世界でも他にありません。この神秘的な国はフランスとスペインを合わせた土地よりも広い面積で、標高、極端な天候、広大な放牧地、独特な仏教形式を持ち合わせています。
 チベットは中国の最も古い諸部族にとってはふるさとの地であり、霊的なものを探求し続ける人々を、幾世紀にもわたって魅了し続けてきた地でもあります。
 しかし悲しいことに、イエス・キリストの真理は何世紀もの間、この国に入ることができませんでした。
 チベット族は中国に存在する五十五の少数民族の一つとされています。二〇〇〇年の人口調査によると、中国内のチベット人の人口は五百四十万人で、その約半数がチベット自治区に住んでいます。又、四川省、青海省、甘粛省、雲南省にも住んでおり、中国国内では蔵(ツァン)族と呼ばれています。
チベット僧と僧院(本文と写真の人物とは関係ありません) チベットのキリスト教
 キリスト教とチベット仏教は互いに相容れず、そのためにチベットは何世紀もの間キリスト教を拒んできました。一九四九年に門戸が閉ざされてしまうまでは、TEAM、クリスチャン・ミッショナリー・アライアンス、中国奥地伝道団(OMFの前身)などの諸団体が、この困難な地で地道な働きを続けていました。
 その当時福音を信じたチベット人の人数は、あまり多くはありませんでしたが、最近では主要な各地域で家の教会が成長しています。そうした家の教会にはチベット語の中の三大方言グループが全て含まれており、クリスチャンの人数は数百人になっています。
 一九四八年、聖書はチベット語に翻訳されました。しかしある特定な方言への翻訳であったために、多くのチベット人に理解されず、現在新しい翻訳作業が進められています。又、聖書の部分訳、トラクトや、イエスの生涯を描いた映画、福音ビデオやCDなどがチベット語に翻訳されて用いられています。
歴史と文化
 チベット族はもともとヤルン・ツァンポ(雅魯蔵布)河口一帯に住んでいました。七世紀にソンツェン・カンポが最初のチベット王国を建国。その時からチベット族は漢中国人との関係をさらに深めていきました。そして六四一年に唐の王室から文成公主がソンツェン・カンポのもとに嫁ぎ、その後両国に長年にわたる友好関係を築きます。
 七世紀以降、ラマ仏教僧らによって統治されていたチベットは、十三世紀にモンゴル族に、又十八世紀には満州族に支配されました。
 一九一二年の反乱の後、独立した期間がありましたが、一九五一年には中国が再び支配を取り戻していました。
 一九六五年、チベット自治区が設立されました。近年は中国からの独立を訴える声による深刻な政情不穏が続いています。
 ある農村地域では人々が日当たりのよい斜面に石造りの家を建て、一階部分を家畜及び物置用とし、二階部分に住みます。さらに乾燥している北部地域では、家は固めた泥で造られ、中庭があります。牧草地帯ではヤクの毛で織られた布のテントに住みますが、これは夏は涼しく、冬は暖かい住まいです。
 ツアンパと呼ばれる大麦を炒って粉にしたものをお茶を加えて練ったものが、遊牧民チベット人の常食です。日常の飲み物としてはバター茶とミルクティーがあります。チベット人は踊りと歌が上手で、チベットの新年は最も大切な祭日です。特別な宗教儀式が「釈迦の悟り」やその他重要な宗教的行事を祝うものとして執り行われます。
マニ車を回す女性たち 宗教
 チベット族はラマ仏教を信仰しています。仏教はインドから伝わり、六二〇年頃にチベットに根づきました。当時の王が仏教に帰依し、多くの僧院が建てられ、経典が翻訳されました。古来のボン教と仏教とは鋭く対立していましたが、何百年もの抗争の後、仏教が主流の地位を得ました。
 しかし仏教はチベットにおいてボン教からその教義、礼拝形式など多くの影響を受けて、独特なチベット仏教を形成しました。文化大革命以前、チベットには二千七百の寺院や僧院、十一万人もの僧侶と尼僧が存在しました。それ以前チベットは高官や司祭が特権階級である神権政治でした。
 五歳になると何千人もの少年達が僧になるべくラマ僧院に入り、経典を学びます。ダライ・ラマ(英知の大海の意)は、チベット仏教の最高指導者で、神王とされています。チベット人の間では、ダライ・ラマはその死後、その魂は新生児として生まれ変わると信じられています。先代のダライ・ラマの没後、直ちに次の転生霊童を探すこととなります。
 一九八〇年以降、中国政府はチベットの寺院や僧院の修復を支援し、最近では小学校からの北京官話と共にチベット語教育も奨励しています。
暮らしと経済
 主な経済産業は農業、畜産、工業(絨毯、農業機械)で、青海チベット高原には中国五大遊牧地の一つがあります。寒さと乾燥に強い大麦が主要作物です。
言語
 チベット語はチベット・ビルマ語派で表音文字を持っています。三大方言地区にラサ(拉薩)、カム(西康)、アムド(青海)があります。
チベットの一農村(右上の建物は僧院) 感謝しましょう
 二十世紀初頭のTEAM、クリスチャン・ミッショナリー・アライアンス、中国奥地伝道団などを通して福音の種がチベットに蒔かれたことを感謝して下さい。
 チベット三大方言が話されている各地域で家の教会が成長していることに感謝。教会員たちの信仰が地域に良い影響を及ぼし、教会が福音を各地に届けることができますように。
 現在チベット語の各方言に訳されている聖書(部分訳)を感謝。チベット語版の映画「ジーザス」および全ての障害や文化的な壁を乗り越えることのできる福音の力に感謝。
お祈り下さい
 チベット仏教徒のために。彼らがクリスチャンに触れ、たとえ見た目は小さな交友関係であったとしても、それを通して神が大きな奇跡をなして下さるように。
 現在製作中の福音的な書物とそれらの配布のために。豊かに用いられて救われる人々が起こされるように。そして信徒の霊的成長につながるように。
 人数は少なくとも増加し続けているチベットのクリスチャン達のために。彼らに勇気、力、英知とヴィジョンが与えられるように。
 独立を求めるチベット人達の葛藤に対し、平和的な解決が与えられるように。為政者達がその国民にとって最善のものを追い求めていくように。
 現地で奉仕するクリスチャン達の日々の安全のために、又、その時々の行動に必要な知恵が与えられるように。


「再入国、日本へ」
カンボジア 一時帰国中  今村裕三、ひとみ

関空にて出迎えの牧師・教会員の方々と  クリスマス前に無事に日本に一時帰国しました。最初の頃は軟着陸といった感じで、身体は日本にありますが、心は東シナ海を漂っているといった変な感じでした。再入国の知的な準備はしましたが、身体は正直なようです。しかし、母教会・支援教会の方々に暖かく迎えられ、平安のなかで過ごすことができています。面識のない状態で支援を始めて下さった教会にお邪魔し、顔と顔を合わせて報告し、この教会で祈られ、その祈りに支えられていたのだと実感できました。
 このように神様の宣教が広がっていく様を見ることを許され喜びが溢れました。また、神様の働きは神様ご自身が神様の方法で成されるということを実感しました。本国奉仕中、母教会・支援教会の方々と交わりが深められ、また、主の宣教のパートナーとなってくださる教会・兄姉がさらに与えられるように願っています。 (裕三)
 私が、クラチェ教会に赴任した時に思ったことは、一年半後私たちがこの教会を出ていく時に「出て行ってくれるな」と・・・・・言われない宣教師になりたいと思いました。それがクラチェ教会の独立のために必要なことだと思ったからです。そのために「訪問はするが定期的にはしない、励ますが強制はしない。集会のリードはカンボジア人が常に主導をとり、それを宣教師が妨げない。」等を目標にしました。特に最後の数ヶ月は、礼拝・祈祷会以外の集会に行く回数を、「忙しいから」などの理由をつけて減らすことにもしました。私は集会に参加し、共に賛美し交わることが大好きです。集会に参加せず、家で祈るのは私にとって退屈な奉仕でした。集会の数日後「集会どうだった?」とたずねて「楽しかったよ。十人も来たの。ひとみも来れば良かったのに」などと言われ「良かったな」と内心神様に感謝する最後の数ヶ月を過ごしました。そして、クラチェの教会の人たちと「一年後のクリスマスにまた会いましょう」と涙々の挨拶・・無しにカラリと別れることができました。
 「これで目標達成」と思い、一ヶ月経ちクラチェ教会員の写真を整理し祈っていたときに、何故か涙が止まらなくなりました。「私はクラチェ教会の人が一人一人大好きで別れたくなかった。大変な時を過ごしている教会の人と真剣に祈り合ったことは、精神的に重かったけれど喜びであった」という自分の本心に向き合いました。そして神様に感謝しました。どうかクラチェ教会のために続けてお祈り下さい。彼らが神様から離れることがないように覚えてください。
 この本国奉仕中、海外にて英語研修が出来ればと祈っています。経済的必要も含めて御心であれば道が開かれますようにお祈りくだされば幸いです。(ひとみ)

【祈りの課題】
1.日本への再適応が守られますように。教会巡回先で、神様のご栄光のみを現すことができますように。
2.日本、シンガポールなどから送られるとりなしの祈りが用いられ、クラチェ教会が神様の御言葉に立ち続けることができますように。また、新たに祈りの手を挙げてくださる方が起こされ、宣教のパートナーシップが広がっていきますように。


「サンタクロースってイエス様?」
カンボジア・ニャックルアン  西村信恵

降誕劇をする青年メンバー  十二月二十五日、クリスマスの日は、カンボジアは休日ではありません。けれども、「去年はちゃんと授業を受けに来ていたのに今年は生徒たちが勝手に学校を休んでほとんど誰も授業に出なかった」と中学校の先生が嘆いていました。カンボジアでもクリスマスという日が特別な日として認識されつつあります。英語教室でクリスマスパーティーがあったり、御正月のように粉を掛け合ったり、きれいな服を着て出かけたり。ニャックルアンマーケットに行ったときのことです。マーケットで働くまわりの人達から私が受けた質問は、「ねえ、クリスマスは、イエス様が生まれた日でしょ?じゃあ、サンタクロースはイエス様?」「わたし、イエス様に会ったよ。赤い服着て、ひげを生やしている人でしょ?」まだまだ人々は、クリスマスの本当の意味を知りません。
主を受け入れた人たち  ニャックルアン教会では、十二月九日の一般クリスマス礼拝に始まり、三十日まで、毎週のように青年クリスマス、子供クリスマス、アウトリーチ先クリスマスと、クリスマス行事が目白押しでした。ニャックルアンの教会で4回、アウトリーチ先で三回、けれども例年に比べ集う人々はより福音に興味のある人々で、集った多くの人が真剣に話を聞いていました。そして、のべ約八百人のニャックルアンとその近辺の人たちがクリスマスのメッセージを聞くことが出来ました。今年は、マーケットの人たちも来ることが出来るようにと、夕方に一般クリスマス礼拝を行いました。約百五十名の人々が来てくださいました。さて、メッセージの最後の招きの時、「イエス様を受け入れたい方は前へ」と同時に、知り合いも大勢着ている中、にこにこと一番に立ち上がり、前にでてみんなの前でまたにこにこと立っている方がいました。それは、教会員のお父様でした。ずっと祈ってきていた私達にとってそれはとても嬉しい出来事でした。
 また、青年会のクリスマスでは、二年前、引っ越す前の教会でずっと教会学校に集っていた子供たちが集ってくれました。中学生になり、少し遠い場所ですが自転車で教会に来ることが出来るようになり、この機会にまた、教会につながってくれればと期待しています。アウトリーチ先でも子供たちのご両親が多く集い、祝福された集会となりました。皆様のお祈りを心から感謝いたします。

【祈りの課題】
1.クリスマスに主を受け入れた人々、また、福音を聞いた人々のために。主が続けてその方達の中で働いてくださいますように。
2.青年会で、説教訓練を受けているリーダー達が、メッセージを始めることになりました。教えるリーダー達の成長のためにお祈りください。


「若い力、新しい希望」
日本 横山基生、好江

中四国KGK冬合宿での一こま  新しい年を主の恵みの内に共に迎えることができ、心から感謝いたします。私は三月末で総主事代行の務めを終えて東京新生教会の主任者となりますが、今年もよろしくお願いいたします。
 昨年十二月の歩みを振り返り二つのことを心に留めました。一つは小学生たちの歌声の素晴らしさです。クリスマス礼拝が大人と子供の合同礼拝となり、共に賛美をしました。大人向けの礼拝で使われる曲を賛美したときは静かなのですが、子供たちが知っている曲になったときには、たった三名しかいないのですが、大人たちよりも何倍も大きな声で歌うのでした。その声の豊かさに主の御名を賛美しました。大人になるにつれ多くの人たちが大きな声で賛美が出来なくなります。肉体的に声帯が衰えることもあるかと思いますが、日々の生活の中で大きな声を出す機会が減るからだと思います。生活の中でいつも歌う習慣のある文化の方々は、大人になっても大きな声で賛美ができる感じがします。特にアフリカの方々です。ただ声が大きければ良い訳ではありませんが、いつも心から精一杯の賛美をささげ続ける者でありたいと示されました。
 二つ目は十二月二十五日を過ぎた、日本ではクリスマスの雰囲気が終わってしまっている二十九日に開かれたクリスマス会です。正式なクリスマス・ディナーを食べる、会費制の主イエス様の誕生会です。私は求道者向けのクリスマス・メッセージを語るために招かれたのです。その教会の教会学校に通う子たちの三家族や求道中の方やお友達などが来られ、全体の半分程がノンクリスチャンでした。英国で食べ物を用いての伝道をしてきましたが、日本でもそれが可能であることを確認することができ感謝でした。(基生)
 クリスマス・イブ礼拝の説教奉仕を終え、翌日から広島県福山に向かいました。京都で一泊して、帰国して間もない今村宣教師夫妻に会い良い交わりが与えられました。二十六〜二十八日とKGK中四国地区の冬合宿が福山で持たれ私達夫婦が講師として招かれました。今年の夏に行なわれる東アジア地区キリスト者学生大会(EARC)を覚えるということもあり、世界宣教がこの冬合宿のテーマとなっており、私達は祈り備えつつ福山に向かいました。学生約二十人と矢島主事と交わり、宣教の主に教えられつつ私達は大変励まされました。七十五分の講演を三つ担当し、夫が御言葉から語り、私はスライドを通して世界各地で展開されている主の御業について分かち合いました。小グループでは「普段は世界宣教についてほとんど考えたことがない」と言いながらも、見たこと聞いたことに一人一人が誠実に向き合ってくれました。「日常の学内活動に力が与えられた」という何人かの感想を聞きながら、宣教の主に遣わされるというのは、やはりこういうことなんだと再確認し主の御名を崇めました。(好江)

【祈りの課題】
1.2月4〜5日にOMF日本委員会が開かれます。一家族ともう一人の宣教師志願者が面接を受けます。主の御心が豊かに現されますように。すべての議題を充分に審議できますように。
2.2月15日夜に日本基督教団ホーリネスの群の信徒聖書学校で、伝道・宣教に関わって講義を担当します。良き奉仕ができるように。

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