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2009年2月号  page1  page2


「タイ教会開拓の現場から −宣教師の報告より−」

高齢者の祈りと経験は、教会の貴重な財産です (写真の人物と内容とは関係ありません) わたしに信頼しなさい
(中央タイの開拓伝道者、ファビアナ・デ・アルジョ師より)
 政情不穏の中にあるバンコクで、あるクリスチャンの女性が、タイ国王がこの状況に介入してくれるよう熱心に神に祈り求めていました。そのための力を国王に与えて下さい、と祈っていた時、彼女は心の内に神が語られるのを聞きました。
 「あなたは人に頼っている。わたしに信頼しなさい。」
 この言葉は彼女の心を強く打ち、彼女は自分の心を吟味した挙句、今まで自分が何に最終的な信頼を置いていたのかを示されました。そして今、彼女は「神こそが唯一私たちが信頼できるお方です」という真理を見いだし、今そのことを他のクリスチャンたちとも分かち合っています。
お祈り下さい
 ◆まだ混迷が続くタイの政情のために。
 ◆タイ人クリスチャンが地の塩、世の光となり、神にあって持っている希望を人々に証しすることができるように。たとえ異なる意見を持っていても、その中から一致を見出すべく諸教会が積極的に前へ進むことができるように。
子供たちは、時に素晴らしい伝道者であり、教師です (写真の人物と内容とは関係ありません) 死への思い
(サラブリ県の教会開拓者、ダルフレッド師夫妻より)
 ピム姉の母親は絶望していました。糖尿病で寝たきりの日々を送る彼女は死を考えることもしばしばでした。さらに最近は、既に死去したはずの姉が、彼女を死の世界へと招いている夢も見ました。
 「生きていても何になるの?」
 こう彼女はつぶやきました。
 「死んだほうがましだわ…。」
 こうして心の中に葛藤を抱えたまま、彼女は頻繁に娘のピムや、まだ十代の孫に八つ当たりするようになりました。
 ある日曜の朝、教会へ行く前にも彼女の愚痴は続いていました。それを聞き続けていた孫は、ついに疲れ果てて冷たくこう言ったのです。
 「おばあちゃん、そんなに死にたいって言うのなら、おばあちゃんはもう死んだも同じだよ。」
 孫のこの言葉は彼女を深く傷つけ、その日彼女は家族の誘いをはねつけ、教会へ行こうとはしませんでした。
 死への思いと無力感にさいなまれながら、その日彼女は家のベッドに横になっていましたが、教会員たちの思いは違いました。彼らは彼女が礼拝に来なかったことが気がかりだったのです。礼拝後、教会員のスン姉とムアイ姉が彼女を訪ねて話をし、三人は共に聖書を読み、祈りました。さらに二、三日後にはアルイ姉が彼女を励ましに訪ねてきました。
 こうしてピム姉の母親は少し元気を取り戻し、次の日曜日には車で迎えに来た私たちと共に、礼拝に出席できたのです。その日の説教者は学生伝道をしているタム兄でした。彼は先週ピム姉のお母さんに何があったのかは知らなかったのでしょう。彼のその日の説教のテーマは自殺についてでした。旧約聖書から、彼はモーセやエリヤ、ヨブ、ヨナといった、人生の途上で一度は死を考えながらも、それから神に祝され用いられた人々について語りました。
 高齢者の方々は自分に価値がないとか、神は自分を用いることなどできはしないなどと、決して考えてはいけません、とタム兄が力をこめて語る中、ピムの母親は礼拝場の最前列近くに置かれた簡易ベッドに横たわっていました。少なくとも高齢者の方々は祈ることができる、又は神と共に長く歩んできたその人生経験から、子供達や孫たちに教えることができるはずです。
 礼拝とそれに続く愛餐会も終わった後に、私はピム姉の母親を、その日彼女を家に送ってくれる他教会の方の所にお連れすることになっていました。教会の他の教会員たちはクリスマス集会のための賛美練習をし、その後何人かがトラクト配布と訪問をすることになっていました。私は行って、ピム姉の母親の簡易ベッドの隣に座り、彼女に言いました。
 「今日礼拝に来て下さってうれしく思います。」
 タム兄のその日の説教を思い出しながら、彼女はとても大切な存在なのだということをもう一度伝えました。彼女はニッコリと笑い、背筋をまっすぐにして座りました。
 「今日は一緒に皆とトラクト配布をしたいんだけど…でも歩けないから仕方ないわね。」
 その前の週の彼女とは何という違いでしょう!ピム姉の母親のうちに働かれた主のみわざのゆえに、信仰者の愛とみことばの説教を通して彼女の思いを新たにされた主に感謝してください。
お祈り下さい
 ◆タイの教会が高齢者や子供達、表面的には余り貢献できないように見えても、神の目には尊いこれらの人々を重んじることができるように
 ◆全ての教会に一致、愛、平安がもたらされますように。
寺院へのトラクト
(ランパン県教会開拓者 トリッシュ・ベッカー師)
 休暇のため、その日の「光の家の子供クラブ」はお休みでした。しかし先週末、私はやって来る子供達のためのゲームなどのお楽しみ会を開き、五人の子供達がやって来ました。
 お昼近くになった時、一人の高齢の女性が、参加していた孫を迎えに姿を見せました。身なりがとても立派なご婦人で、やはり同じように立派な服装のご主人の方は裏庭で待っていました。老夫妻はすこし早めに迎えに来てしまったことを詫びながらも、これから孫を連れてお寺に喜捨に行かなければならないので、と私に説明しました。
 私は急いで彼らの孫娘のトイを呼びに行きました。トイは聖書物語ビデオでヨハネの福音書を観ていましたが、よい子の彼女は呼ばれて急いで走って来ました。しかし、玄関で彼女は立ち止まり、そこに置いてあったトラクトを見つめるとこう私に尋ねました。
 「これ無料でもらってもいいの?」
 「ええ、好きなだけ持って行っていいわよ」
 再び外からお祖母さんがトイを呼びました。しかし、落ち着いた声でトイは答えました。
 「ちょっと待って!まずこのトラクトをもらわなきゃ!」
 そこには何種類かの福音トラクトが並べてありました。こうしてトイはお寺へと出かけていったのです。まだキリストの物語が耳元に響く中、何種類ものトラクトを持って…。その日行なわれた「子供クラブ」はちゃんとしたものではありませんでした。でもやはり子供クラブを開いてよかった。彼女を見送りながらた私はそう感じていました。


「見え始めた霊的変化」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

面会2人制限のところに20人 「賭博禁止」という張り紙。葬儀では初めて見ました。画期的です。
実はタイ人の葬儀では必ず徹夜のギャンブルが行われます。眠ると死者の霊が戻ってきて悪さをすると恐れ、人々は連続百時間を越える賭け事をして、起きています。故人のことも、遺族のことも知らない、プロの外部者が来て地元の人を巻き込んで延々と騒がしく、テーブルに札を叩きつける。タイのこの習慣はすっかりミェン族の村々にも入り込みました。
クリスチャンの葬儀となると、そのような賭博の喚声、罵声、笑い声の只中で、祈り、聖書朗読、説教が行われます。私は何度葬儀を執り行っても、この習慣は受け入れられません。ついに数年前から、葬儀説教ではギャンブラーに向かって声を張り上げるようになっていました。
そんな折、クリスマス直前のタンマジャーリク教会員宅での葬儀で、あの張り紙が掲げられたのです。喪主か役員か、クリスチャン村長か、だれか分かりませんが、明らかに教会が新しい文化を創造した瞬間です。(達朗)
病室で社会言語学の授業 葬儀の後、主人は気管支喘息と腰痛で五日間入院しました。
入院の日、タンマジャーリク教会でクリスマス感謝礼拝の説教も、翌二十八日の日曜日のニコム教会での説教もできません。急遽、他の国へ待機中のミェン族宣教師でこの教会の元牧師に代行を願い、助けを得ました。
その夜、静かに病室の戸が開くと、村長兼教会代表役員を先頭に、ぞろぞろと二十人以上が入って来るではありませんか。規則では面会は二人まで、とあるのに。皆でベッドを取り囲み祈ってくださいました。帰り際には皆さんがお見舞金まで置いていかれました。
「あの教会は私たちが牧師をしていたときから比べると霊的にずいぶん変わりました」と前述のミェン族宣教師夫妻は喜んでいます。彼らが仕えていた七年間は内部に対立のあったとき。二〇〇七年九月号で「だれも就任したがらない教会」と紹介した群れ。彼らが宣教地への再派遣の延期を余儀なくされていることで、後任の私達はずいぶん助けられ、彼らの働きの実を見せていただいています。 (たまみ)

【祈りの課題】
1. 2月〜5月は大学の授業を担当しません。この時期にムン語音声資料分析、ミェン語識字教育教材作成、ミェン語論文執筆に集中できるように。休みもきちんと取れますように。
2. 2月17日〜25日、派遣教会である糸井福音キリスト教会の一行が訪タイします。旅の安全と現地理解の祝福のためお祈りを。また今月帰国する短期奉仕者、佐藤恵里華姉の今後の導きのため。


「16年ぶりのシンガポールで」
日本 佐味湖幸

コンピューターとにらめっこ!の研修 私がマニラで教会開拓をしていた頃、ピーター君は高校生でした。現在二十六歳、シンガポールのある飲食店で出稼ぎ中。高校生の頃は、「こんなに親と仲良く、従順な十代の子どもがいるだろうか?」と、男三人兄弟そろって、いわゆる反抗期というものを通りませんでした。ところが、二十代になってから、ピーター君は遅めの反抗期デビューとなり、親兄弟、周りの友人に大変な心配と迷惑をかけました。昨年四月、親に捨て台詞を残して、フィリピンを去り、シンガポールへやってきましたが、生活や仕事は想像していたのとはちょっと違い、なかなか大変なようです。信仰的にも、信仰の友もなく、仕事が毎週日曜日に休みではないこともあり、だんだん神様から遠ざかっていました。そんな時、私は十六年ぶりにシンガポールへ行く機会が与えられ、彼と久しぶりに再会したのでした。親子関係の不満、人間関係の失敗、お金を貯めて将来の夢など、積もる話をしました。どの話を聞いていても、なにか肝心なところが間違っているように感じました。それは、神様中心でないこと。
「そんなんじゃ、あかんで、神様第一にした人生やないと!」と、港に面した大きなショッピングセンターの喫茶店でコーヒーをすすりながら話をしていたのですが、ピーター君がふと眼を上げると、「あれ?ドゥロス号!」「えっ?いや〜、ホンマ!!」二人で喜んで、あの有名な福音船に乗りました。そこで、インド人のクルーと仲良くなり、船内も見せていただき、船の食堂でお昼御飯をご馳走になりました。ご飯を食べながら、彼はピーター君の目をまっすぐに見て、自分がどのようにして伝道者となって、インド中を宣教したか、どのようにドゥロス号に導かれ、どのような生活をしているかを語ってくれました。神様に全く人生を捧げた熱い青年の証は、ピーター君の心に突き刺さりました。ピーター君は自分の何かが間違っていると恥じたようです。やはり、同じことを言われても、親くらい年の離れたおばさんから説教されるのと、自分と同じ年くらいの青年に生きた証として話されるのでは、心に響き方が違ったようです。これは、まさに神様が備えて下さった出会いだと心から感謝しました。
ところで私は何しにシンガポールへ行ったかというと、OMF国際本部で、あるコンピュータープログラムの研修を受けていました。十六年前にOMFに入り、ここ国際本部で新人宣教師としてオリエンテーションを受けたときには、ワープロならまだしも、コンピューターなんて、触ったことなかったのですが。

【祈りの課題】
1. 外国で出稼ぎ労働者として働くフィリピン人は1千万人を超します。クリスチャンたちも多くいます。故郷を離れても、信仰を離れず、むしろ励まされ、成長する機会となるように。
2. 2月9日から17日の祈りの旅のために。全部で5名の参加者の霊肉の守りのために。菅家総主事が引率。


「クラチェ教会のその後」
カンボジア 今村裕三、ひとみ

クラチェ教会牧師のセイハー師とメカラー夫人 クラチェ教会のクリスマス集会に参加してきました。去年、私たちがクラチェを離れた後、五人以上の教会員が他の教会へ移ったそうです。何人かはその団体からの給料にひかれたようです。そして、村の群れにおいても、ベトナム人のソムバット(以前、赤ちゃんを亡くしその後、教会学校をはじめる機動力となった女性)、トム村のデイー兄(豚を盗まれた男性)も給料をくれる団体へ移ったと聞きました。本人に経緯をはっきり聞いたわけではないので、真意は分かりませんが、お金に釣られるクリスチャンを作るキリスト教団体を残念に思いました。
クラチェ教会員は、そんな中、淡々とクリスマスを準備していました。神様は新しく救われる人も与えてくださいました。私は人が減り、集会の準備にかかる負担を心配しましたが、争い事を起こす人がいなくなり、かえって平和にやっているように感じました。
セイハー先生は、お腹の調子が悪くさらに痩せましたが、元気そうでした。奥さんのメカラーは二月に出産予定で、順調な様子でした。伝道熱心なヒムおばさんも、相変わらず元気でした。
教会員が更に減ってセイハー先生の給料が心配でしたが、彼らは教会の空き部屋を人に貸し、豚を飼い…夫が去年彼らの希望で、結構な時間を使い苦労して作ったバレーコートはマンゴー園に変わり…たくましくやっていました。彼らの、援助に頼らない自活する底力を見た気がしました。
宣教師がいてもいなくても、問題は起こっていましたが、彼らがそれを受け止め神様に従っている姿に神様に感謝しました。(ひとみ)
ようやくカンボジアに戻ることができました。予定外のシンガポールでの椎間板ヘルニアに対する理学療法はとてもよい効果を得ることができました。お祈りを感謝します。自分のコントロールできる範囲を超えた状況で、もう一度、主に留まり続ける、主に全幅の信頼と信仰を持ち続けることを学びました。不透明な第二期を始めるにあたり、主は必要な訓練を与えてくれました。
カンボジアに戻って最初の週末は、クラチェを訪問しました。一年ぶりのクラチェは少し町が綺麗に整備され、観光客が増えている印象を受けました。クラチェ教会の兄弟姉妹も元気でした。昨年一年間は、上述のように試練の時もあったようです。しかし、残っている教会員は皆、「私たちは神様から生活の糧も含めての恵みを頂いている」と言い、少なくなったけれども、これからも主を愛していきたいと言いました。
ある婦人はこう言いました。「神様のことを伝えているとたまに神様を見せてみろとか馬鹿にされることがあります。でもそんな時は、怒るんです。だって、自分の親が馬鹿にされていたら、その子供は怒るでしょ。」このように神様を愛して止まないクラチェの兄姉が主から励ましを頂いて歩めるようにと祈ります。
クリスマス集会では、セイハー師がマタイ一章二十七節から、「私たちは心配事などがあっても自分では解決出来ない。究極の心配事は、死である。罪や死の問題を解決できるのは神様だけで、神様が私たちの救いのために人間となられたイエス様を信じることだけだ」と明確に罪の問題と救いのことを語り、よい集会となりました。(裕三)

【祈りの課題】
1. クラチェ教会の教会員が御言葉に教えられ、主を愛し、救いの知らせをまだイエス様を知らないクラチェの住民に知らせることができるように。
2. メカラー姉は2月末頃の出産です。守られて新しい家族を迎えることができますように。セイハー師家族がいつも神様を信頼し、すべての必要を満たして下さることを経験できますように。

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