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2010年9月号  page1  page2


「タイ」
タイ マーク・レイトン師

バンコクの街角で。タイの国旗と王室の旗  この記事を書いている現在、「赤シャツ」隊の一団が、バンコク市内のビジネス地区で防御を固めている最中です。彼らは自分たちを撤去しようとしているタイ軍部隊に対し、反撃の準備をすすめています。
 「黄シャツ」隊の側はといえば、政府に対し「『赤シャツ』達を何とかしろ、さもなければ自分達が追い出してやる」と言っています。それに対し「赤シャツ」隊は、「攻撃してくるなら内戦も辞さない」と言い返しています。それでも政府が、治安の基本的な民法に違反している人々を規制しないならば、事態はさらに過激な暴動へと発展することでしょう。
 その他にも「様々な色のシャツ」と呼ばれ、(何週間も)政府を支持し続けている人々もいます。ほとんどの市民が、このような各派の間に漂う緊張感の中で日常生活を営み続けているのです。
 タイ国は変化の途上にある国です。新たな工業化に伴い、タイは過去六十年間で大きくその姿を変えました。タイの都市はどこも人口が増加していますが、中でも人口一六〇〇万人の首都バンコクは特別な存在であり、ビジネス・政治・文化の中心地です。
 様々な変革を通ってきたこの国を統治してきたのはフミポン国王(一九二七年生)です。一九四六年に即位した王は、現在のタイ国民のほとんどに知られている唯一の王です。
 六〇年前のタイでは支配層と被支配層がくっきりと分かれていましたが、今ではどちらでもない中間層が主流です。しかし政治的には人々は今も分かれています。全ての人々に適応される法律に基づいた明確な規制を社会に求める人々もいれば、昔ながらの人間関係重視のシステムの方がよかったと感じている人々もいます。
 二〇世紀初頭以来、タイの政治は一触即発の状態が続いてきました。フミポン王政の初期の頃は、軍部将校らが国を支配していました。流血事件にまでは至らないものの、クーデターは日常茶飯事でした。そして政府が変わるたびに憲法も変わるのです!
 「赤シャツ」の正式名は「反独裁民主統一戦線(UDD)」といい、彼らは自らの闘争を「支配者層対被支配者層の闘争なのだ」と言っています。UDDの中心的人物は、二〇〇一年から二〇〇六年まで首相を務めたタクシン・チナワット氏です。タイは彼が率いる文民政府を得て、明るい二一世紀のスタートを切ったはずでした。
 しかし、時が経つにつれ汚職が明らかになり、二〇〇六年九月のクーデターによりタクシン政権は終焉を迎えました。その後も「黄シャツ」隊による反政府運動は続きました。
 「黄シャツ」の正式名は「民主主義市民連合(PAD)」で、王政支持者、ビジネスマン、都市部中流層などがゆるい結束を保ちながら、反タクシン派を形成しています。
 二〇〇六年のクーデター後、新憲法が起草され、軍が新たな選挙を開催しました。その後も政権交代が続く中、「黄シャツ」派の反政府運動は続き、二〇〇八年十一月、バンコクの主な空港を数日間占拠する事態に発展しました。その後、連立政権が発足しましたが、どのくらい政権を維持できるかは未知数です。
 タクシン氏と「赤シャツ」派は、新たな選挙で再び政権を奪い返すべく活動を続けています。読者の皆さんがこの記事を読んでおられる頃には、また情勢は変わっていることでしょう。
 このような政治・社会的変化の波の中で、宗教面においてもわずかに変化が見られています。タイの主要な宗教は仏教で、人口の九十四パーセントが程度の差こそあれ、仏教徒として生活しています。様々な宗派がありますが、他の宗教が混在する場合もあります。ご利益があるとなれば人々はそれを信奉し、そうでないとなれば他のものを試すのです。
 タイ人は就職、試験合格、健康、結婚、そして時には敵を呪うためにも宗教を用いることがあります。ほとんど誰もが偶像やお守りを持っており、ほとんどどこでも精霊を祭る祠があり、人々は日常的に参拝します。真剣に信じて詣でる人もいれば「一応念のために参拝」という場合もあります。
 より制度化され、かつ伝統的な仏教にかかわろうとする人々は減っており、限られた特別な日や旅行や必要な時のみに限られてきています。それに対して伝統から離れた、宗派的な仏教にかかわる人々が増えています。
 イスラム教はタイ南部に多く広まっており(四パーセント)、キリスト教は北部で(一パーセント以下)優勢です。かつてタイ人のほとんどは、タイ人イコール仏教徒、と考えていました。しかし最近、王室や政府が「タイ人はたとえイスラム教徒やクリスチャンであってもタイ人でありえる」、としたことで、タイ人の福音に対する態度が変わり、今ではキリスト教はタイ人にとって宗教上のオプションの一つとなりました。
 タイのプロテスタント教会は過去三十年間に四パーセント強の成長を遂げています。これは出生率よりやや高い、前向きな数字です。今ではタイの各県に最低一つの教会が存在しています。しかしタイのプロテスタント人口はわずか〇.五パーセントです。(ただし少数民族では三パーセント以下。タイのプロテスタント人口の四十パーセントは少数民族出身者です。)
 過去十年間、タイの教会は協力してよい働きをしています。ほとんどの教会に広まっているタイ人主導による祈りを重視する運動はその一例です。又、諸教会が互いに一致をもってつながっていることが、全ての教派のさらに力強い伝道や開拓につながっています。
 これら全て、現在の不安定さの中にあっても、未来に対する明るい兆候を示しています。しかし同時に次のような戦略面での質問が生まれてきます。
 一.少数民族出身のクリスチャンをタイ人仏教徒やイスラム教徒への伝道に動員することができるか?
 少数民族出身者の多くは求職や教育を受けるために山間部から都市へ移住して来た人々です。しかし、そのようにして都市で暮らすクリスチャン達は、必ずしも移住にあたって伝道に重荷を持って来ているわけではありません。
 OMFは「ホーム・ミッション」を形成するために、タイ教会連合(ACT)と協力して働いています。ACTに関わる人々の多くは、OMFが一九五〇年〜二〇〇〇年に従事した少数民族の働きの結実です。例えば、モン族クリスチャンによるタイ人仏教徒やイスラム教徒への宣教のように、私たちはタイ国内の中で異文化伝道のためにクリスチャンを派遣したいと願っています。
 二.クリスチャンが少数しかいないタイの各地域にさらに多くの宣教師を送ることができるでしょうか?
 タイで働く宣教団体の大多数が働き人をチェンマイに置き、今も北部の少数民族に焦点を当てています。しかし北部やその他の地域のタイ人仏教徒は注目されていません。礼拝の場を持たない二百十の郡と五千八百二の村はどうなってしまうのでしょうか?
 この課題に対応すべく、OMFは二、三年前にイサーン地域(タイ北東部)を新たな地区として定め、無教会の地域に福音を携えていくチームを建て上げようとしています。また同様のことを南タイでも行ない、働き人をタイ人仏教徒が主流の無教会の地域に移そうとしています。
 ヤコブ四・十四には「あなたがたには、あすのことはわからないのです。」とあります。だから私たちは今日神が私たちに求めておられることに集中するべきなのです。今日のタイは福音に対して開かれており、OMFタイにはクリスチャン教師のために、百以上ものビザ枠が与えられています。まだその枠は埋まっていません。このタイのために、あなたには今何ができるでしょうか?
 タイ人は心を開いてキリストについて学ぼうとしています。しかし彼らの町にはタイ語が話せて、かつ喜んで教えたいと願うクリスチャンがいないために、多くの人々は学ぶことができないままなのです。タイの将来を考えて、どうか祈って下さい。そして主イエス・キリストがあなたに何をするよう望んでおられるのかを主に尋ねてみて下さい!


「パウ先生のお父さんが見つかりますようにお祈りください」
日本 菅家庄一郎、容子

川奈聖書教会の子どもたちと共に  先月号に書きましたセーン君のことを書きます。カンボジアで亡くなった妹さんは、亡くなる前に「頭が痛い」と両親に訴えていたそうです。しかし、両親はお金がないから、霊媒師のところへ行かせたのだそうです。今、御両親は、娘を病院に行かせなかったことを本当に後悔しているとのことです。良い知らせもあります。セーン君は、ある団体から奨学金がもらえることになりました。毎月三万円と高額ではないですが、それでも学費や生活の足しになります。このことの為に彼と共に祈りましたので、主は霊媒師とは違い、祈りに答えて下さる方であることを経験して主に対する信仰が増し加えられますようお祈りください。
 もう一人のカンボジア人のためにもお祈りください。ソーポン・パウ先生のことです。彼はずっと上智大学で教えていましたが、この度、カナダの大学でのポストが与えられ日本を去ることになりました。その直前に、三十五年前のポルポト時代に消息を絶ったお父さんがタイで生きているという情報を得たというのです。生きていれば八十四歳ですので、あと何年生きられるかわかりません。パウ先生の六人の兄弟達もお母様も健在で、何とか家族の再会を果たしたいと願っておられます。このお父さん、ナム・パウさんの消息がつかめますようにぜひお祈りください。(庄一郎)
 シンガポール日本人集会でお世話になった山本夫妻のおられる川奈聖書教会に、家族で奉仕に招かれました。二人の幼い娘さんと、教会の子供たちを連れて山口先生も海水浴に同行してくださり、楽しい交わりが与えられました。その翌日、日曜学校では子供たちのパワーに圧倒されました。0歳から五年生まで十人ほどの子供たちが最前列にずらりと並んだ前で、山口先生は手はピアノを力強く弾きつつ、首はくるりと子供たちの方を見ながら、大きな声で賛美をリードします。子供たちも負けないくらい大きな声で歌います。私はカンボジアのお話をしましたが、色々な質問が飛んできます。子供たちがしっかりとメッセージを受け取ってくれた感触がありました。最後に、先生が「お祈りしたい人はいますか?」と聞くと、我先にと手があがります。指名されて前に来たのは、中でも小さい三人。大きな声で先生について祈ってくれました。
 主人の説教の後、楽しい昼食のお交わり会。年配の方々と子供たちが、大きな家族のように手作りのご馳走が並ぶ食卓を囲みます。暖かい交わりの中、宣教の働きについても皆さん熱心に耳を傾けてくださいました。浄土真宗の強いこの地域に、キリストの体なる教会が建て上げられている様子に主の業を見ました。 遠くタイやカンボジアでもここ日本でも、宣教の主が働き人を選び遣わされ、また一人ひとりがなくてはならないからだの一器官として結び合わされていること、育てられていることを思い主を崇め、大いに励まされました。皆様のお祈りに感謝しつつ。(容子)

【祈りの課題】
1. ソーポン・パウ先生のお父さん、ナム・パウさんの消息がわかり、家族と再会できますように。
2. 9月21日、OMF日本委員会が開かれます。みこころが示されますように。全国から忙しいスケジュールの合間を縫って参加してくださる先生方の上に、主からの恵みと励ましがありますように。


「有澤家の子供たち2」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

賢とムワンの結婚式  七月中旬、私達の地元北海道から始まった巡回報告は八月末東北へ。今月初旬には関東へ移動します。懐かしい方々との再会、新しくお会いする方々との祈りの輪が広がり大変恵まれています。お祈りを感謝いたします。
 先月号の「有澤家の子供達」に続いて。
 我が家の長男の賢(ケン)の実の両親は戦争難民としてラオスからタイへ避難し、その後国連の斡旋でアメリカのカリフォルニアへ移住した。どういう理由か分からないが、四人の息子達(賢は彼らの次男坊)全員をタイの祖父母に預けて。その時、賢は十歳。すぐ下の弟(三男)と一緒に、キリスト教系のミェン族生徒寮「ミラクル寮」に預けられた。賢は徹底したキリスト教とミェン語の環境の中で育った。アメリカに渡った両親が一生懸命働いて送ってくれた仕送りで高校、大学へ進学。大学生の時は、バンコクのキリスト教系の寮で信仰の訓練を受け、将来は宣教師となってミェン族のために働きたい、と願うようになった。大学を卒業し、神学校への導きを祈っていた時に、チェンマイの我が家に滞在。チェンマイ・ミェン族宣教教会開拓を手伝う。また、私達がチェンライのメーチャンに移った頃、同じメーチャンへ場所を移した彼の信仰の基礎を築いてくれた「ミラクル寮」で臨時ヘルパーをして、ミェン族のクリスチャンの子供達を助けていた。その時に出会ったミェン族の女性と昨年結婚。
 その間、アメリカ在住の両親の十七年来の願いがかなって、息子達のアメリカ移住許可が出た。結婚の一年前から賢はアメリカに渡り、英語の勉強、親達と一緒に農場で働きながら、カリフォルニアのミェン族キリスト教会協議会事務局を助け、将来の働きに備えている。(たまみ)
 二〇〇八年にミェン語聖書全巻が出版されましたが、それに使われているタイ文字表記によるミェン語文字はまだ十分に普及しているとは言えません。八月初め、東南アジアのある国で大学間協力地域開発会議があり、そこでミェン語正書法に関する論文を発表して来ました。お祈りくださった皆様に感謝いたします。
 本論文では、この文字体系が言語学的十分性を備えており、ミェン族がタイ社会に積極的参加をすることに役立つと同時に、ミェン族としての独自性を保存(生態系保全)という、二重効果を期待できると論じています。タイ政府が、少数民族言語をタイ語と平行して初等教育に使用する政策をとる方向にある中で、このささやかな論文が教育者、研究者の目に留まるように続けてお祈りください。(達朗)

【祈りの課題】
1. 8月に大学間協力地域開発会議に提出し発表した論文が北部タイの教育者、研究者の目に留まってミェン語識字教育の普及につながりますように。
2. チェンマイのパヤップ大学言語学研究所で識字教育者になるための研修を受けている2人の神学校卒業生のためにお祈りください。タナコーン兄が研修のかたわら出席しているチェンマイ宣教教会で説教の奉仕もすることがありますので、毎回のメッセージが主に用いられ教会の祝福となるように。ガオフェイ兄が物語を書く賜物の他にどのような賜物が与えられているか知ることができるように。


「あつ〜い夏!」
日本 佐味湖幸

高槻福音自由教会教会学校キャンプ  「暑いですね〜!」毎日のあいさつです。皆さんがこれを読まれる頃は、少しは秋の気配を感じるようになっているのでしょうか?お祈りを感謝します。
 学校が夏休みに入る直前の週末、七月十七、十八日、高槻福音自由教会の教会学校キャンプで奉仕をさせていただきました。小学二年生から中学一年生まで、十四人のキャンパーと十人の大人スタッフの参加。キャンプの当日は近畿が梅雨明けの日で、前日までの豪雨が嘘の様に晴れ渡り、暑さ全開(??)の日となりました。「よい天気を与えてください」という祈りが答えられ、プール遊びやスイカ割りのよく似合う(?)天気に、子供も大人も大喜び、感謝しました。
スイカ割り!  このキャンプ、年齢差が大きいのも話し手としては話しにくい状況でしたが、初めて聖書の話を聞く子供たちが五、六人いて、どこに焦点を当てたらいいのかちょっと苦労しました。しかし、教会にクリスチャンホーム以外の子供がなかなか来ないこのご時世に、これだけ未信者の家庭から子供たちが参加するということは、教会が地域から信頼されているのだなあと感心し、与えられた機会を感謝して、上よりの力と知恵を求めつつ、ヨナ書から語らせていただきました。信仰決心、献身の決心、教会に続けて来る決心をした子供たちがそれぞれ与えられ、感謝でした。主が彼らをこれからも守り育ててくださいますように!この中から、将来宣教師になる人が起こされますように!

【祈りの課題】
1. 8月に行われたタイ・バンコクでの短期宣教プログラム参加者、マレーシアで行われたアジア・フロンティア宣教大会の参加者の中から、宣教のための祈り手、長期の宣教師となる人たちが起こされるように。
2. 9月10日から10月1日まで4回、毎週金曜日に持たれる関西聖書神学校での宣教学の講義のために。

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