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2012年9月号  page1  page2


「主に満たされる器として −OMFシンガポール委員会総主事 ダニエル・ウォン師−」

 主にある友人と同僚たちへ。キリストにある平安と喜びがありますように!
 第二列王記四・一〜七のエリシャとやもめの話から示されたことをいくつかお分かちしたいと思います。この物語をやもめの視点から見てみると、彼女は三つのものを失っています。
 最初は愛の喪失です。彼女は夫を失ったことの痛みを経験していました。彼女が愛し、頼っていた人が天に召されてしまったのです。愛する者を失うことは常に苦痛を伴いますが、その人がずっと頼ってきた人の場合はさらに辛いものです。まだ年若い二人の息子(一節の「息子達」という部分に使われているヘブル語は、彼らがまだ年若い子供であることを示唆しています)をこれからどうやって育てていったらよいのか‥‥彼女は途方にくれていたことでしょう。 死によって、もしくは感情や肉体的な別離(また片思いでさえも)によって、この世で持っていた愛を失うことは多くの場合、痛みと不安を引き起こします。このやもめの愛の器は空っぽになっていて、神の愛と神のご臨在、守り、供給への確信によって満たされる必要がありました。
ウォング師一家(左から次男エドウィン、ウォング師、ウォング師夫人、長男カルヴィン、三男アンドリュー)  二つ目は信仰の喪失です。一節でやもめはエリシャに向かって「あなたの僕である私の夫は、ご存知のように主を恐れておりました」と叫んでいます。私はこの彼女の叫びは、エリシャに対して発せられたものではなく、間接的ながら神に対する叫びであったように感じます。「叫んで言った」という言葉は、「訴えた」、もしくは「文句を言った」とも訳せるでしょう。なぜ神はご自分の忠実な僕が死ぬのをそのままにされたのか、その意味を求めて彼女の信仰は試されていました。神がご自身の僕に苦しみや死が訪れるのをゆるされたということが彼女には理解できず、受け入れられなかったのです。
 なぜ夫が死ななければならなかったのか‥‥その答えは得られなくとも、彼女の信仰の器は、彼女の神が王座に坐しておられるのを見た時に満たされました。イザヤの唇に触れた燃える炭の奇跡のように(イザヤ六・六)、やもめの空の器からあふれ出る油の奇跡は、彼女の信仰を増し加えるためのものというよりは、むしろ彼女の信仰をかきたてる神の素晴らしい栄光と驚くほどの愛のしるしだったのです。その信仰の器は空っぽでした。しかし主がその信仰を回復させ、神の眼に見えないご目的への確信と、説明しがたい平安という油で満たした時、彼女の信仰の器はいっぱいに満たされたのです。
 三つ目は希望の喪失です。貸し主が来て子供たちを奴隷にするため彼女のもとから奪おうとしている‥‥。悲嘆にくれていたやもめの心はさらなる恐怖に捕えられていました。息子たちを取られてしまったら、彼女が年老いた時に、世話をしてもらえる望みはほとんど、もしくはゼロになってしまうでしょう。それは彼女にとって考えられないようなことでしたが、負債を払えないならば避けられない事態でした。高利貸しは既に旧約の時代から存在していたようです!何とかその高利貸しから逃れようと、彼女は悩みながらあれこれ考え続けたに違いありません。
 彼女の希望の器も空っぽでした。ヤハウェは彼女のわずかな油を用いて、目に見える油で満たしただけではなく、希望の油で彼女を満たしたのです。彼女は息子たちを取り戻し、将来の生活も保証され、そして彼女はより明るい人生への希望も取り戻したのです。
 やもめの経済的必要をただ満たすためだけに、神がエリシャを送られたと簡単に考えることもできるかもしれません。全ての器を油で満たした後に、エリシャはやもめに「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子供たちは暮らしていけます。」(第二列王記四・七b)と言ったのですから。しかしあの奇跡においてやもめが受けたものは、主が彼女の空の器を愛、信仰、希望で満たされたことだったのではないか、と私には思えます。彼女がしなければならなかったことは、自分が持つわずかな油を進んで神様の御前に差し出すこと、そして神に残りの全てのわざをなして頂くことだったのではないでしょうか。
 どうか主が私たちの空の器をも満たして下さいますように!


「ニュー・ホライゾンズの働き(二)」
シンガポール 佐味湖幸

これから日本に行く宣教師たちと日本で働いた宣教師  「私はコスタリカ(中米)に住むディアナです。台湾へのインターンシップ・プログラム(二年間の中期宣教プログラム)に申し込みたく、これを書いています。両親は香港と台湾出身です。私は台湾に行って中国語や台湾の文化を学び、両親や親戚に伝道したいと思っています。また、将来宣教師になるようにという導きを感じています。OMFはアジア宣教の専門家なので、OMFを通して働きたいと思って、インターネットでこのサイトを見つけました。これからどうしたらいいか、どうぞ助けてください。」
 ディアナがこのようにOMFにコンタクトを取ってきてからこの二カ月半、ざっと数えても百三十を超えるメールのやり取りをしました。スカイプ(インターネット電話)でも何度か話をしました。十四時間の時差がある国とスカイプするのは、互いの都合のいい時間を探すのがなかなか大変です。
 ある人がOMFに申し込んできてから宣教地に行くまでには、多くのステップを踏み、多くの人が関わります。その過程でどの用紙に何を書くのか、次はどういう準備が必要か、誰と連絡を取るのか、などなど細かいアドバイスをすること、候補者に質問があったり、導きについて疑問がわいて来たり、色んな所を通る中、彼らと一緒にこの過程を旅するのが、候補者コーディネーターとしての私の役目です。時には申し込みを断らなければないないこともあり、難しい判断を迫られることもあります。特にニュー・ホライゾンズからの候補者たちは途上国からの人も多いので、時にOMFのような国際的な宣教団体に入ればいい給料がもらえるという間違った、また隠れた動機をもっている人もいます。
 なるべく彼らの母国にある宣教団体とOMFがパートナーシップを結んで、その団体を通して送り出していただき、OMFが受け皿となるような形でこれらのニュー・ホライゾンズの国々からの方々を受け入れたいと願っていますが、地理的にも離れ、言語も違う国の団体とのコミュニケーションには忍耐と知恵が必要です。
 先のディアナの場合、コスタリカにある宣教団体から派遣され、OMFを通して台湾で働けるように準備を進めています。経済的なサポートが十分に与えられるようにということも祈りの課題です。お祈りください。

【祈りの課題】
1.9月はニュー・ホライゾンズの国々から宣教地に遣わされている方々を訪問し、その後、少し休暇をいただきます。良い交わりと休息が与えられるように。
2.スウェーデンとコスタ・リカからOMFに志願している宣教師候補者の方々の準備のために。また彼らを派遣する教会や宣教団体とOMFがよいパートナーシップを築くことができるように。


「ヒム姉昇天」
カンボジア 今村裕三、ひとみ

ヒム姉と娘のソル姉とともに  七月八日、クラチェ教会のヒム姉が天に召されました。腎不全、六十一才でした。
 クラチェを訪問して下った方は、覚えておられるでしょう。色黒の肥った、笑うと噛みタバコのため黒く染まった歯がゆれる、笑顔も行動も豪快な人でした。
 ポル・ポト時代に子供を四人失い、残ったニ人の子供を育てながら食堂をしていました。口が悪く大酒飲みだったそうです。しかし神様を信じ、きっぱり酒を辞めました。小学校も十分に通えなかった彼女は、聖書を読むために字を学びます。そして聖書の注解書もどんどん読みこなし、乾いた土に水がしみ込むようでした
 ほぼ毎日、食堂の準備を済ませた午後にあちこちへ伝道に出かけ、十キロ離れた所でもいつも自転車でした。私もよく一緒に自転車で出かけました。私たちはクラチェ教会の最後の宣教師でしたので、彼女が主役で私たちは添え物という思いで行っていました。私はよく集まってきた子供達に折り紙を教えていたのですが、ある日、ヒム姉が真面目な顔で「ひとみ、もう折り紙はしないで欲しい。人が集まりすぎるから。」と言われ、「宣教師が主役でなくて、ヒム姉自身がこの伝道の主であると思っている!」と、とても嬉しかったです。
 田んぼの畦道で水牛に追いかけられた私を見て、笑っていました。村に入ると子供達が、「豚(ヒム姉のこと)の前を犬(私のこと)が走っている!」とよく囃し立てられ、でもなんだか嬉しかったです。船を待っている間によく話をしました。田舎の言葉も教えてくれました。教会の行事で料理をする時、カンボジアのやり方に慣れない私をネタによく笑いました。
 ヒム姉は私にとって、宣教師がカンボジア人の影のようになって働く基本を教えてくれた人でした。彼女が亡くなる二週間前、共に祈り彼女を抱きしめた感覚がまだ腕に残っているように感じます。大好きな友とすぐには会えない悲しみと、ヒム姉が神様と会って、きっとあの笑顔で喜んでいることを想像すると幸せな気持ちにもなります。
 良き伝道者であったヒム姉を失ったクラチェ教会が、この機にさらに神様に仕えることができるように、またヒム姉が伝道していた人々が、神様につながる事ができるようにお祈りください。(ひとみ)
ピセット兄、お母さんとともに  昨年八月号で紹介し、祈っていただいた学生伝道(日本ではキリスト者学生会と同様)主事のピセット兄のその後です。一年間忠実に奉仕をした後、祈りの結果として一人暮らしのお母さんを助けるために帰郷することになりました。彼の田舎は私たちがいるストゥン・トラエンです。七月中旬からパートタイムで地元のNGOで仕事を始めました。また、ピセット兄の後任の主事も与えられました。
 ストゥン・トラエンには二つ大学に相当する学校があります。私立大学と周辺四つの州のための看護助産師学校です。それぞれ約五百人の学生を抱えます。ストゥン・トラエン州宣教ビジョンの一つは、学生伝道です。ピセット兄も大学生に関わる働きを始めたいと思っています。神様のタイミングで約千人の学生に福音を語る機会が与えられるように祈っています。(裕三)

【祈りの課題】
1.クラチェ教会のために。特に伝道を生き甲斐にしていたヒム姉のあとを引き継ぐ者が与えられますように。そして、残されたヒム姉の家族(全員クリスチャン)の上に主の慰めがありますように。
2.ピセット兄の今後の歩みと新しい学生伝道主事になったチョムラウン兄の研修のために。


「祈り会のための祈り」
日本 西村信恵

福岡聖書教会にて  私の家のベランダは東向きで朝から強い日差しが入ってきます。外で一斉に鳴いている蝉の声は、暑さをうんと増しているように思います。近所の大きな木の木陰は、いつも一番涼しいところを知っている猫の昼寝の場所となっており、カモは那珂川を涼しげに泳いでいます。カンボジアにいた時は、田舎だったことや訪問先の家は木でできており、そばのココナツの木やパームヤシの木の陰で涼しい風が吹いてきていたこともあって、ビルとコンクリートに囲まれた日本のほうが、風も熱風で暑いような気もすることもしばしば。猛暑が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
 七月は下関でのOMF祈祷会に出席しました。台風の中福岡を出発。途中電車も止まりましたが、無事に到着できました。台風、大雨の中にもかかわらず、遠くからの方も来てくださり、皆が集い心を合わせて宣教師のために祈ることができました。この祈りを神様が聞き届けてくださるがゆえに、私たちはこうして続けて嵐の中でも集い祈り続けることができることを思わされました。
 新しい出会いも与えられました。宮崎の牧師先生の奥様で、ご自分の教会でOMF祈祷会を始めたいとのこと。いろいろお話しをして、教会員の方々が賛成してくださり、その場所で始めることができるように共に祈りました。それから、OMF祈祷会に興味のある学生さんにも会いました。その方に連れて行っていただいたKGKの聖書研究会にも参加させていただきました。そこに参加されていた方も、そういう祈祷会なら出席してみたいということで、神様が一番良い場所、時間を定めてくださいますようにと祈りました。この九州の地でも、OMF祈祷会が始まるようにと願いつつ祈ってきた答えが少しずつ与えられており、神様が働いておられることを知り感謝しています。どちらの祈り会も祝福のうちに始めることができますように、それぞれのスケジュールが合い、共に集っていくことができますようにお祈りに覚えていただけたらと思います。

【祈りの課題】
1.福岡で始めようとしているOMF宣教祈祷会のために、皆さんが集いやすい適切な場所が与えられるように。
2.9月は日本青年伝道会議が17〜19日にあり、OMFもブースを出します。各集会が祝福され青年達が宣教に目を向ける時、神様に近づく時となりますように。

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