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市内の路地で

ぴーの中国旅行記

1997.6.3.〜14.

 私はこのたび、6月の前半の約2週間を北京で過ごす機会を与えられました。
 まず感じたのは、私は現在の中国に対して大きな誤解をしていたようだということでした。 情報化時代とはいえ中国本土の情報はTVなどのメディアでもまだまだ少なく、 キリスト教界ではなおさらのことでしょう。社会制度の壁ゆえしかたないのでしょうか。 中学で習ったような黄砂で空がまっ黄色になるとか、中国への宣教師が捕まり処刑されたとか、 片寄った情報しか私の印象になく、マイナスイメージが強かったようです。 はそんな私に<きみはいつか中国へ行くんだよ>という思いを与えて下さっていましたが、 やはりその誤解ゆえなんとなく避けてきていました。
 私は小学生の時にイエス様を信じ受洗していましたが、 だんだん主から離れた生活をするようになっていました。 私が高校生の時ビリーグラハム大会で再決心をし、 共に喜んで下さった当時の牧師はやがて中国への宣教準備のため、香港に行かれました。 その後、何度か帰国のたびに報告会があり、 そのような中からも中国というところは困難なところなんだなぁという印象をもっていたのでした。
 転勤などで教会をかわるうち、妻と出会いました。妻の姉夫婦は関西で開拓伝道をしておられます。 やがて姉夫婦も仲良しの林幸司先生ご夫妻と仲良くなりました。 主の導きはなんと不思議なことでしょう。義兄もそうですが林先生もパソコン好きで、 3人で集まって会話しているとかなりアヤシイよと妻たちが言うほどです。 パソコン通信のニフティーサーブに「ハレルヤハレルヤ」(flord)という クリスチャンフォーラムがあります。 フォーラムの会議室上や電子メールの交換などでもより親しくなりました。
 は私たち夫婦を導かれ、林幸司先生の牧会する 東京メトロチャーチのメンバーとして下さいました。この教会は中国に留学生を送り出しています。 有志のメンバーでSさんのために祈り、サポートしています。 昨年末、Sさんの報告会で聞く中国は私の中のイメージと異なっていました。 急速に変化しているのだと感じました。 また同じ時期に私は、2年間北京で宣教師をしておられたNさんとも出会いました。
 話が前後しますが、昨秋、林先生が北京に行かれる際、 Sさんのためにパソコンを持っていきました。 私は購入からセットアップなどほとんどをお手伝いしました。 Sさんは北京でインターネットプロバイダに加入しましたが、問題が発生しました。 こちらで用意していたWindows95用のアプリケーションではうまく接続できず、 推奨されて購入インストールしたWindows3.1用のしかも英語版のものでしか接続できず、 ローマ字でかろうじてメール交換をしていました。 しかし、国際電話代が高いのでインターネット電話で接続したいことと、 日本語でメール交換をしたいということになりました。そこで昨年末、Sさんの一時帰国の際に、 バージョンアップや調整などをしました。充分に手を尽くしたはずでしたが、 北京に戻るとすぐにやはりダメだとの報告を受けました。 こちらとはなにかが違う、向こうのプロバイダの独自性が何かあるはずなので、 これはいつか私が行って調査しないとわからないということになりました。
食堂の二階で晩餐
 私たち夫婦は、今年の1月に台湾に旅行しました。 そこで台湾で伝道しておられるご夫妻に会いました。奥様は日本人です。 恥ずかしながら、私は台湾という国があるのだと誤解していました。 しかしそこは中国のひとつなのです。 中国共産党を受け入れられない人々が北京などから多く来ていて、 彼らは中国の統一を強く願っています。 南方なまりの香港人と異なり、移ってきた彼らはネイティブの北京語スピーカーなのです。 私は台湾でイエス様を信じた彼らが統一の日に北京に戻ると、 ネイティブスピーカーである中国人の指導者がリバイバルを導くことをまぼろしに描きました。 十二億人の中国に福音があっという間に拡がるのです。 そして私も中国人を愛することができるという思いを与えられました。 この旅行は私のつまらない日本人の優越意識を崩してくれました。 蛇足ながら台湾では老若問わず日本語が通じるのには驚きました。 ああ日本語で伝えられるなぁと思いました。 その先生ご夫妻は弟子訓練のための学校に力を注いでおられるようです。
 また私は、この三月で仕事をやめました。 はあなたに与えたパソコンやインターネットの能力を わたしのために用いなさいと迫られました。 そっと妻に相談すると妻は喜び、いつそう言ってくれるのかと祈りながら待っていたというのです。 私はに従おうと決心しすぐに踏み出しました。 現在もハローワークに通う中ですが、 このチャンスに中国の土を踏んでみようという思いをだんだん強く持つようになりました。
 そのようにがひとつひとつ順番に私の環境を整え、 ついに最後のブーストラップをかけて下さいました。 Nさんがもう一度一時的に北京を訪問するというのです。 彼はいま二年間の宣教師の働きを中断し、アメリカで学ぶための準備をしています。 教会を巡回しながら応援して下さる方を募っておられます。 私も彼といっしょにならたいへんに心強いと思い、すぐ同行させていただくよう申し入れました。
 その日が来て、Sさんのパソコンを調整するための道具と聖書を詰め込み、 成田から飛び立ちました。わずか三時間はすぐに過ぎました。 ジュースを飲み、機内誌と雑誌を読み、食事をほおばり、 配られた入国記録書や健康届けと格闘するうちに着陸していました。 空港では、夜遅くの便だったからでしょうか、 どんどんスムーズに荷物チェックを通してくれました。 トランクを開けろと言われることを想定して問答の準備をしたのですが、取り越し苦労ですみました。 後で聞いたのですが、聖書は国内で印刷しており町で大変に安く買えるのだそうです。 必要が満たされているわけではないようですが・・。
 現地では、日本人、韓国人、アメリカ人、そして中国人の伝道者にお会いしました。 また北京で救いを体験した韓国人、日本人、そして中国人に会いました。 日本人は、企業戦士、留学生など合わせて三万六千人が北京市内にいるそうです。 外国人のための公認教会があり、出席させてもらいました。 入り口でパスポートチェックがあり、中国人は参加することができません。 そこでは毎週、およそ八百人ほどのクリスチャンがともに礼拝をささげています。 ほかにカトリックの公認教会もあるそうです。日本人だけの交わり会にも出席しました。 その中には、北京に来てからイエス様を信じたという方もいらっしゃいました。 は世界中のどこででも救いのみ業をなしておられることを改めて思わされました。
日本人の交わり会
 さて、Sさんのパソコンを調整することが、今回の旅行目的のひとつでした。 しかし、いろいろやってみたもののなかなか接続できませんでした。 電話回線のレベルチェック、トーンチェック、 プロバイダが送ってきた中国語の説明書を何度も読み直し、もう投げ出そうかと思いました。 この旅がむなしいものとならないように、みなさんにも祈ってもらいました。 三日ほどしてひらめき、気が付きました。 このネットは日本でいうインターネットプロバイダではなくパソコン通信であることに。 その先はニフティーのRoad4経由の接続と同様です。 難なくクリアし、日本語でのメール交換、ネットミーティング、 日本語のWebの閲覧などが自由にできるようになりました。
 中国の生活は快適でした。たいていの町の中国人は英語も日本語もわかりません。 宣教師たちの共通語はハングル語を主としてチャンポンでした。 中国語でなければ、バスの中やレストランで祈っても会話しても多少なら大丈夫のようです。 食べ物はいろいろあって特に果物が美味しいです。贅沢しなければ、一食が二元くらいですみます。 (一万円≒七百元、中国人の標準報酬≒五百元、ただし家などは国が支給。) ケンタッキーやマクドナルド、ロッテリアなどもありますが、セットで二十元ほどもします。 水道の水は飲めません。電気や水道は時々止まります。 携帯電話は見かけませんが、ポケベルがかなり普及しています。 自動車の排気ガスがひどく、通り沿いは息苦しいです。 乾燥しているので30度以上の気温の割には過ごしやすかったです。
 6月4日、天安門広場に行きました。Welcome香港の文字が大きく掲げられていました。 カウントダウンのデジタル時計があと何秒と表示していました。 国旗掲揚のタイムテーブルがポールのそばに書いてあり、人々がポールの周りに集まっていました。 公安(警察)が二人一組でそこここを歩いています。ちょうど8年前、事件のあった場所です。 他のメンバーとともに祈りました。 祈りの中で、はこの国の民を愛しておられることがよくわかりました。 私ももっと愛さなければという思いがわき上がりました。 日本人とまったく区別のつかない一人ひとりの顔は静かで透明でした。
 市内のパソコンショップなどにも訪問しました。 その店での修理手法は「とにかく次々と取り替えてみる」のようでした。 ちょうど新品パソコンを買う場面に遭遇しました。 客に渡す前に箱から出し、電源を入れてチェックして見せていました。 立ち上がったのは中文版Windows3.2でした。ひととおりマニュアル通りの検査をして見せるのです。 しかしフロッピードライブが不調で読み書きができませんでした。 店員は表情も変えずに次の箱を開け、 チェックリストをすべてクリアすると客も満足して持ち帰りました。 フロッピードライブの不調はよくあるそうです。 ディスクのほうにも不良セクタがあることが多いそうで、 ふと中国語で書かれたパッケージの箱の裏を見たらなんと日本製でした。
 市内を歩いていて何度か声をかけられました。中国語で。 観光地ではハングル語や日本語で声をかけられることが多かったです。 入場料は二重価格のところが多いのですが、 黙ってお金を出せば中国人価格で入場できることが多いです。 それほど日本人は中国人と似ているということでしょう。 町の中で声をかけられても、シャッターを押してほしいとか、なにか食べ物を買ってくれとかなので、 それなりに対応できました。(タクシーの中ではさすがに困ってしまいましたが・・。) 本当に、しゃべらなければまったく区別がつきませんでした。
 中国にはたくさんの人がいます。そして、は彼ら一人一人を愛してくださっている。 しかし、それを知らないのです。 エチオピアの宦官が「導く人がなければどうしてわかりましょう。」と言いました。 それは確かな真理であり、摂理なのだと思います。チャレンジのあった旅でした。 心から、感謝を捧げます。読んでくださったあなたに祝福と平安がありますように。

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最終更新日時:2006年08月04日