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2008年1月号  page1  page2


「一風変わった宣教師」
アンディ・スミス師

バスの中で(本文と写真の人物とは関係ありません)  私は急いでいました。週末はミンドロ島にいましたが、マニラに帰って、訓練会の準備をしなければなりません。バス停に向かって走り、出発まぎわのバスに飛び乗りました。
 バスはほとんど満席でしたが、そこへもう一人、バスに飛び乗ってきた男性がいました。彼の名はベルト(仮名)といい、背が高く、細身の青年で、身体にピッタリとしたオレンジ色のTシャツを着ていました。髪は薄いのですが長くのばし不揃いでした。鼻の下のひげもあごひげも同じ状態で、しかもひどく不機嫌そうに見えます。他の乗客たちが一様に、自分の隣の席が既に埋まっていたことに内心ホッとしたのは無理もありません。でも、私の隣はまだ空いていたのです。
 ジョン・ストット著の「論争家キリスト」を数章読み終えていた私は、車中で全部読み終えたいと思っていました。しかし神さまは他の計画をお持ちだったのです。彼はこの身なりのよい、アメリカ人クリスチャンを見てどう思うでしょうか。
 バスが出発して、ベルトは私の隣に座りましたが、彼が「なんだって俺はこんな帝国主義の抑圧者の隣に座らなきゃならないんだ?」と考えているのが分かりました。 緊張感をやわらげるために、私は彼に挨拶しました。ところが彼はこうつぶやいたのです。
 「あんたらアメリカ人はフィリピン人に自由を与えたと思ってんのかい?冗談だろ!俺達はまだアメリカ経済の奴隷だよ!」
 手に持っていた本を開いてこの言葉を黙殺したい思いがしましたが、そうできませんでした。
 「グローバル化が世界の流れを変えたよね。いろんな所で人々は苦しんでる。金持ちはもっと金持ちになるし、貧しい人はもっと貧しくなる。残念なことだけど、多国籍企業の力はすごく強くて、多くの人が縛られているよね。」
 「あんた、ビジネスマンじゃないな。ここにどのくらい住んでるんだ?」
 私のタガログ語の返事に驚いて、彼はこう聞きました。
 「十五年くらい。」
 「そりゃあ長いな。どうりでタガログ語がうまいと思ったぜ。」
 「君はどこから来たの?」
 「イロイロから。だから俺のタガログ語はたいしたことないのさ。でもこの十三年間はヨーロッパにいたんだ。」
 「どんな仕事をしてるの?」
 「機械技師。でも技師としては何年も仕事してない。」
 「本当?ぼくは土木技師で、最初は機械技師だったんだ。でもアメリカの自動車産業が不景気になってから、転職したんだよ。」
 こう聞いた彼は私の年齢に見当がついたようでした。
 「あんた何歳だい?」
 私が自分の齢を答えると、彼はクックッと笑い出しました。
 「同い年じゃないか!奥さんと子供は一緒に来てるのかい?」
 「いいや、ぼくは独身でいることにしたんだ。」
 「俺もだよ!」
 ベルトは大声でいいました。
 「フィリピンで何の仕事をしてるんだい?」
 「僕は宣教師なんだ。」
 「ある意味じゃ、俺もだな。実はね、俺は悟りを求めてヨーロッパに行ったのさ。結局、ヒンズー教の哲学に出会って、誰かに伝えたいと思ったんだよ。」
 そして彼はこうも言いました。   「フィリピンに戻って農村地域に何箇所か行ってみたんだ。自分の国の教育がひどい状態なんだなって思ったよ。貧しいから多くの子供たちが学校へ行けない。俺はそんな状況を変えようと思うんだ。」
 ベルトは彼の信条について話し出しました。彼の発見は彼を知的に満足させている、と私には思えました。
 ジョン・ストットの本を片手に、私は何度か彼の言葉に反論したかったのですが、今は静かに聞くべきだと感じました。時折話を整理するための質問をはさみながら、注意深く彼の話を聞くうちに、かつて彼はカトリックの信仰を持っていたものの、それではいくつかの問いの解決が得られず、新しく出会った哲学でその答を得たようでした。
 やがて彼は私の神概念について質問してきました。
 「そうだね。僕はクリスチャン家庭で育ったんだ。でも聖書を学び始めたのは高校生の時だったよ。その時初めてイエス・キリストを通して本当に神を知ったんだ。だから僕の神概念は全く聖書から来てるんだ。神は全能で、恵み深くて、正義で人格を持っていて、被造物にとても深くかかわられる神だって信じてるよ。」
 ベルトはじっと聞いていました。私が神を人格的なお方として知っているらしい、ということに彼は喜んでいました。
 バスはカミアス通りに到着しました。私とベルトは下車し、そして何とお互いの家が五百メートルしか離れていないことがわかったのでした!
 歩道でさらに少し話をして、私はベルトに話ができてとても楽しかった、と言いました。ベルとがこれから貧しく社会の片隅に追いやられているフィリピン人のために働く中にあって、神を求め続けていってほしいとも伝えました。
 ベルトは私に礼を言い、私の名と電話番号を尋ねてきました。そしてこれからもフィリピン人のためにがんばってほしい、と言いました。そうすると私は彼に約束しました。そしてそれ以来、祈っているのです。神のためフィリピン人に仕える器に、彼もなっていくように。


「祈祷会の恵み」
日本 佐味湖幸

今年もどうぞよろしくお願いします!  「祈りでしか、届くことの出来ない人々がいるのです」行ったことのない国々や会った事のない人々のために祈るのは時に困難なことです。しかし、現在東アジアの国々の中には、信教の自由がなく、自由に福音を伝えることの出来ない国々や地域があります。そこに住む人々は、どのように神様のことを知ることができるのでしょう?私たちに出来ることは?神様は、神様のやり方で人々に語りかけられます。時には不思議な方法で、時にはクリスチャンの愛の行いを通して。そして、神様は彼らが主イエス様と出会えるように、私たちには祈ることを求めておられます。
 十一月関西では大阪と新たに京都の二ヶ所でOMFの祈祷会がもたれました。特にイスラム教が強く、自由に宣教ができない国やそこに住む人々のために祈りました。八月にインドネシアへ行って、そこで文字通り命がけで宣教している方々とお会いしてきただけに、祈りに熱が入りました。
 また、日本から 宣教地に遣わされている宣教師たちのためにも熱心にとりなしの祈りを捧げます。私もこのように祈られて十三年間フィリピンでの働きが進められたのだなあ、と感謝です。今はとりなしの奉仕が私に与えられている働きの一つだと自覚させられています。
 十二月に一期四年の働きを終えて帰国される今村宣教師夫妻のために、特に祈りました。常夏の国から真冬の日本へ、それだけでも大変です。逆カルチャーショックもあるでしょう。京都では祈りと共に、具体的な準備をもって先生たちの帰国を待っておられました。宣教師と共に宣教の業を担ってくださる方々の存在と愛の奉仕に感謝しました。
 新しい年、さらに各地で宣教祈祷会が始まるように願っています。

【祈りの課題】
1.西日本でもOMF祈祷会がもっと始められるように。新しく始まった京都での祈祷会が励まされ、祝されるように。
2.1月18日から28日の北タイ祈りの旅のために。参加者の安全と健康が守られ、宣教の現状をよく理解し、よいとりなしの祈りの奉仕ができるように。


「さよなら、クラチェ」
カンボジア 一時帰国中  今村裕三、ひとみ

左からトモーリアップ村のニャック兄、ストュンスワーイ村のリン姉、トム村のディー兄  新年おめでとうございます。今年も主にあってよろしくお願いします。
 十一月第一聖日がクラチェ最後の礼拝でした。クラチェの教会員に祈られ、日本に送り出していただきました。今まで、教会のことを一方的に祈っていたので、教会員に囲まれて祈られたときは、このように教会を成長してくださった主に只々感謝でした。皆から一言頂きましたが、「よく自転車で一緒に訪問に行ってくれてありがとう」「クメール語を忘れないように、クメール語の聖書を毎日読んでね」「クラチェに来たときにはバイクに乗れなかったのに、乗れるようになって帰って行く」などなど。教会の内と外には、まだまだ課題はありますが、宣教の主にお委ねしてクラチェを後に出来ることを感謝しています。また、最後の日曜日に教会学校が再開するという恵みに与りました。メカラー姉とセイハー兄が教会に来ているおばあちゃんの孫二人を対象に再開しました。少人数ではやる気がでない慣習から脱却できたことは素晴らしいです。今後もお祈り下されば幸いです。
 第一期、いろいろなことを知ることができましたが、田舎でクリスチャンとして成長するために、都会に依存しない生き方、訓練の必要を覚えました。田舎で自立できる教会形成を目指すことが第二期の課題だろうかとも思わされています。感謝して。 (裕三)
 ベトナム人でお父さんの始めた教会へ移ったソムバット姉に、お別れの挨拶に行きました。彼女が教会を移ってから、混乱を避けるために彼女の住む地域へ出かけていませんでした。久しぶりにその地域に入ると、「ニャックルー(女先生の意)」と沢山の子どもに声をかけられました。
 姉妹は相変わらずの笑顔で迎えてくれ、「四家族(大人十人ほど)で礼拝を守っている。最近、青年向けの集会を夜に始めた」ことなどを話してくれました。ソムバット姉の夫は洗礼は受けましたが、礼拝には家族の送迎前後に出席するのみでした。しかし、今は礼拝に参加し、教会の子ども集会の面倒も良く助けてくれています。いくら長年カンボジアに住んでいても、ベトナム人としての区別(時には差別)はあります。私にとってソムバット姉がクラチェ教会を出るときに、痛みがありましたが、彼女の夫にとっては母国語で聖書を読み集まる事が出来るようになって良かったと感じました。
 ソムバット姉の祈りの課題は「夫は聖書を読んでいるが理解していない。聖書が理解できるように。」でした。過去何回か共に祈ったときに、彼女に夫の信仰について尋ねても「大丈夫、心配ない」と言っていたのですが、彼女自身が御言葉に取り扱われ、夫の信仰の中身についても祈ることが出来るようになったようです。
 神様の計画は先が読めないが、奥が深いと再び感じ入りました。感謝。(ひとみ)
【祈りの課題】
1.町から遠く離れて信仰生活をしている教会員の為。少ないクリスチャンの環境の中、主の証人として村で用いられますように。トモーリアップ村のニャック兄、ストュンスワーイ村のリン姉、トム村のディー兄の信仰成長の為に。
2.月に一回訪問してくれるヨアキム師の働きのために。 「教会とは?」というテーマで毎月教えてくれることになっています。教会本来の使命を、教会員がよく理解し、主の福音を伝えていけますように。


「神の恵み、サタンの誘惑」
カンボジア・ニャックルアン  西村信恵

洗礼を受けるルカ兄  あけましておめでとうございます。昨年一年、カンボジアでの働きを支えてくださりありがとうございました。皆様からの尊い捧げ物、お祈りを心から感謝いたします。
 ニャックルアンでは、十一月に三人の青年達が洗礼を受けました。クリスチャンホームに生まれた十六歳のルカ兄は、迫害の多いプラサー村の出身です。「僕は昔から近所の人たちに嫌われ、神様を信じているからと言っては友達からは馬鹿にされてきた。けれども、今ははっきり神様の愛を知った。神様は僕を愛して、僕のために十字架にかかって死んでくださった。僕は親の言うことを聞かなかったりしたけれども、今は神様にあって親にも従っていきたいし、何よりも、神様に従っていきたい。」と泣きながら証ししました。今年高校を卒業したニーター姉も、ソリヤ兄もはっきりと信仰告白をし、新しく来始めた青年メンバー達の参加する中、教会の近くのメコン川で洗礼式が行われました。ニーター姉はプノンペンで大学生として新しい生活が始まります。主にある家族に加わったこの青年達の新しい歩みのためにお祈りください。
 また、十一月は、落ち込む出来事もありました。クリスチャンホームで育ち、信仰暦も長い二十歳のチャリヤー姉が、ある日突然、知り合って二ヶ月の未信者の彼と婚約をし、つい先日結婚をしました。皆に内緒で婚約をし、挙式も自分達だけで、別の教会の牧師を呼んで行い、キリスト教式といいつつも、お酒やドンちゃん騒ぎのある結婚式を行いました。このことが、青年達の間で大きな影響となって現れています。現在三人の青年達が、自分もいいじゃないか、と、未信者の彼女との結婚を真剣に考え始めるようになりました。一年間、青年会では、主にある家族とは?結婚とは?愛とは?神様に従うとは?本当の知恵とは?等、学びをしてきたはずなのですが、簡単に世の流れに流されていってしまう状況を見て私自身落ち込みました。結局は、青年一人ひとりが神様にしっかりつながること、日々の歩みの小さな出来事の中でも神様を選び取っていくことを教えていくことの大切さを思わされ、自分自身の祈りの足りなさも思わされています。
 新しい年も、私自身がしっかりと神様の御心の中にとどまり、この地で通りよき管として、喜びを持って仕えていくことができますように、引き続きお祈りいただけたらと思います。今年もよろしくお願いいたします。

【祈りの課題】
1.1月7、8日と、ニャックルアンチームの宣教師達で、昨年の働きの反省と新しい年の計画、またニャックルアンのこれからの働きのための話し合いと祈り会が行われます。神様に聞き、計画を立てていくことができますように。
2.神様に従っていくか、世の中の流れに沿っていくか、現在揺れている青年達、ティー(青年リーダーの一人)兄、マカラ兄、ソリヤ兄のためにお祈りください。

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