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2009年11月号  page1  page2


「主が始めて下さった」
板橋祈祷会代表 久米淳子

初期の板橋祈祷会にて  板橋祈祷会は毎月一回、原則、第三金曜日、私の家で行われています。「宣教師のために祈りたい」という方々が主体的に集まり、今年で十三年になりました。
 初めに、私達の板橋祈祷会の始まりについて、私個人の証しを交えてお話しをさせていただきます。
 私は一九七九年、今から三十年前になりますが、夫の転勤に伴なってバンコクへ行くことになりました。そして、当時のBJCF「バンコク日本語キリスト者集会」の礼拝に出席する事になりました。当時、礼拝のメッセージは日本からの宣教師の方々が中心になって取り次いでくださっていました。
 私にとって宣教師とは、外国から日本へ伝道に来られている方というイメージでしたから、日本から外国(私にとってはタイですが)、そこに宣教師として来ておられるというのは、とても新鮮な驚きであり感動でした。そしてその交わりの中でとても身近な存在になりました。
 それから四年後の一九八三年に帰国し、日本での教会生活が始まりました。その中ではことさら宣教について強く意識することはなかったのですが、タイでの経験の中で私の出来る宣教のお手伝いは、ささやかでも献金をすることかなと思いました。そして、毎月送られてくる「OMF宣教ニュース」は宣教地での働きを知ることの出来るもので興味深く読んでいました。
 一九九六年七月、今から十三年前になりますがOMF日本委員会三十周年記念の宣教セミナーがこちらで開かれました。講師として、以前日本のKGKで御奉仕をされていたマイケル、バレリー・グリフィス先生ご夫妻が招かれました。私は、バレリー先生の「宣教史の中の女性」というテーマの講演を聴きました。
 その中で「アメリカの婦人達が家に集まってお茶会をして、送り出されている宣教師のために祈った」という話をされました。私はそれを聞いた途端、「分かった!」と思いました。それは「私は宣教師にはなれないけれど、宣教師のために祈ることはできる」ということでした。と言って、すぐに行動に移そうと思った訳ではありませんでした。
 同じ年の九月、思いがけず比較的便利な所に家が与えられました。引越をして生活が一段落してホッとした頃、主は私に「私は宣教師にはなれないけれど、宣教師のために祈ることは出来る」という思いが与えられていたことをはっきりと強く示され、今度は直ぐタイの宣教師時代から面識のあった当時のOMF日本委員会総主事であられた牧野先生・伊豆先生に「家で祈祷会をしたい」と電話で話しました。驚いたことに、ご夫妻は「宣教師のための祈祷会が持てる家庭を」と祈っていたと言われ、「神のなさることは皆、その時にかなって美しい」という伝道者の書(三・十一)の御言葉を思いました。
 そして、その年の十一月第一回目の祈祷会を牧野伊豆先生と二人で持ちました。そして、二回目に一人、また一人、というようにして「宣教師のために祈りたい」という方々が加えられて来ました。お互い、面識も無く、教派も異なった者達でしたが、何の違和感も無く祈りあうことが出来ました。これは主が計画をし、導いて下さったことだと確信しました。
 そして現在は菅家容子先生を中心に、毎月ある宣教の働きの実態と祈りの課題を選んだ「祈りのフォーカス」「中国の祈りのカレンダー」、そしてOMF日本委員会から遣わされている先生方から届けられた、ほかほかの近況報告と祈りの課題を中心に、祈りは内容をまとめて、短く、心を合わせて祈っています。又、祈祷会以外の日にも、宣教師の方々からのメールによる祈りの要請、感謝の報告なども、そのつど祈祷会のメンバーにメールや電話で分かち合い、祈り合っています。
 宣教師の先生方が宣教報告で帰国中、祈祷会に来て下さりお会いすると、昔からの知り合いのような親しみをいつも感じます。そうなると今まで以上に祈ることが嬉しくなってきます。
 宣教の業を成してくださるのは主ですから、私達は宣教師の方々の心と身体、安全が守られるように祈り続けることだと思っています。疲れた時、困った時、「祈ってください」と言っていただけるような祈りのサポーターであり続けたいと願っています。
 充実した祈りの後のティータイムは本当に楽しく、互いの良き交わりの時となっています。私達、板橋祈祷会のメンバーが気付かされた事は、宣教師の方々のために祈っているはずの私達が、逆に主から多くの恵みをいただき豊かにされて来ているという事です。本当に感謝です。
 主が始めてくださった私達の祈祷会です。これからも主が導いてくださるように自然体で歩んで行きたいと思っております。


「日本伝道会議『ディアスポラ宣教協力』プロジェクト」
日本 ディアスポラ伝道 横山好江

JCF5ディアスポラ宣教協力プロジェクト準備委員と。後列左より、松崎姉、鹿島師、岩崎兄、横山夫妻、青木夫妻。前列左より、内村師、永井師、Dr. Tira、黒田総主事  九月二一〜二四日と札幌で行なわれた第五回日本伝道会議に、夫と共に出席しました。二日間にわたる「プロジェクト」は、「ディアスポラ宣教協力」に参加しました。夫が、このプロジェクトの準備委員の一人として約一年半前から準備を進めてきました。(夫はJOMA会長として「世界宣教再考」という分科会を一つ担当しました。このように複数担当だった方々も結構あったようです。)「ディアスポラ宣教協力」の分科会を含め、計三回の集会に延べ百九十名の参加がありました。北米、南米、ヨーロッパ、アジア、アフリカなど、世界各地で日本人伝道を担っておられる働き人がおられました。自らが帰国者であるという牧師・牧師夫人もおられました。またディアスポラという言葉を初めて聞くという方もありました。
 準備委員が長期にわたって準備され、世界各地の日本人教会・集会からアンケートを集め、世界的・全体的現状が報告されました。(アンケートに答えがなかった所については報告に入らなかったので残念でした。)ディアスポラの聖書的基盤、歴史的背景について語られました。ITの活用(青年に届くには携帯サイト充実、携帯の活用が必須)や、ネットワークの充実について話されました。また、日本在住の外国人伝道の現状の発表があり、日本の教会へのチャレンジがありました。
 二千年に沖縄で行なわれた前回と比べ、この九年間でディアスポラ伝道は大きく進んでいることを見せていただき、御名を崇めます。
 今回の伝道会議のテーマは「危機の時代における宣教協力―もっと広く、もっと深く―」。竿代照夫師の基調講演に深く頷きました。『宣教協力の基礎は公同教会観である。』宣教協力の基礎は公同教会観である公同教会主義に基づいて三つのパラダイム・シフト(発想の転換)が提案されました。
『(1)「自分が中心」という考え方から「互いに肢」(体の一部)という考え方へ。(2)「自分の教会が中心」から「協・教会主義」へ。(3)「自分の教派が中心」から「協・教派主義」へ。』一教会内でも、互いの違いを喜び、それぞれがそれぞれに相応しく花咲けるように、奉仕できるようにと建て上げていくときに、キリストの体らしくなっていきます。教会間も同じようであったらと祈り願うことです。
 私のディアスポラの働きにおいても、団体間の協力を進める時には、自分の殻から出ることを常に求められます。居心地のよい所、慣れたやり方からの脱却です。
 最終晩、「宣教大会」で米内宏明師は『チーム・ワーク、ネット・ワーク、フット・ワーク』を提唱されました。カナダの邦人伝道について触れ、戦時中にキャンプに収容された日系人を訪問し福音を伝えたマーガレット・リッジウェイさんの働きに始まりがあると紹介されました。
 主のものとされた私達に、何を主は求めておられるでしょうか。居心地のよい所から出て、福音を必要としている隣り人へ。それが何人(なにじん)であっても届けることができる勇気と愛を与えて下さいと祈らされます。
 皆さんの祈りの答えとして報告させていただけることを感謝します。祈り合いながら、先立つ主に共にお従いできることを感謝します。

【祈りの課題】
1. 11月12日にメルボルンに向けて出発し、14日クレテル師が奉仕する教会で、東アジア人伝道ワークショップ(現地のクリスチャン対象)が行なわれます。東アジア人伝道を担っているオーストラリアのクリスチャンにとって、よき訓練の時となりますように。
2. 11月16〜20日はシドニーにおいて、ディアスポラ・リーダー会議が、23〜27日はさらにメンバーが加わって訓練会が行なわれます。昨年12月のドイツ、今年5月のアメリカでの同様の会議・訓練会で、積み重ねてきたものをさらに進めることができますように。


「チーム全体の様子」
カンボジア 小川文子

語学・文化研修中の宣教師仲間たち  紅葉も美しい頃でしょうか。皆様いかがお過ごしですか。私はお祈りに支えられ、移行期の不安定さも最小限に抑えられ、元気に過ごせていることを感謝しています。こちらに来て約三ヶ月、語学はかたつむりのようにゆっくり進んでいます。
プノンペンの中心地  私のいる環境をお伝えするために、今回はOMFカンボジア全体の様子を書きたいと思います。急速に成長しているこのフィールドには今、約八十名の宣教師と約六十名の子供がいます。「大きなチームだね」と言われますが、常に四分の一は帰国中なのもあり、小さな組織の人の足りない雰囲気、また人の出入りの絶えない雰囲気があります。出身国は様々ですが(アジア人も多い)国籍意識は同労者意識の中に溶けてしまっています。平均年齢は三十代後半、女性が約七割でしょうか。独身は女性しかおらず「ご飯食べにこない?」と誘い合ったり、さりげなくケアしあい、気楽に話せる人たちで助かっています。「交わりとは、お互いへの献身」とオリエンテーションで聞いた言葉を思い出します。不思議なほどに英語で苦しむこともありません。第二の言語で話す苦労を知っている、またアジア英語に慣れている人が多いからかと思います。カンボジア人の先生方も楽しい人々で、廊下で会うたびに「うどん?」「うどん」と冗談の挨拶(こちらにはウドンという地名があるので共通語‥‥?)を交わしたり。そんな小さな優しさ、笑いに支えられています。
信恵師の旧友スレイソー。彼女の教会に通っています  様々な働きがなされていますが、田舎での教会開拓をする人が減り、たった七人になってしまうということで、開拓を一箇所閉じ、人員移動をすることが検討されています。なおカンボジアチームの働きのためにお祈り頂ければ幸いです。

【祈りの課題】
1. 体調を崩すことなく元気に学び続けられますように。難しい発音を身につけられますように。
2. 1階に住むチェンダー姉(結婚する予定)が、主にある結婚の決断をできますように。またそのお母さんがプノンペンにいる間に救われますように。


「危機の時代に期待して祈ろう」
日本 菅家庄一郎、容子

 「危機の時代における宣教協力」というテーマで日本伝道会議が札幌で開かれました。約二千人の人々が集まりましたので、懐かしい方々と再会してもゆっくり話すわけにはいかず残念でした。次のことが印象に残っています。
 地方伝道における困難、献身者が少ないこと、神学校教育の変革への渇望、宣教学的な取り組み(日本の諸宗教の研究、一般恩恵を強調した葬儀、など)、ディアスポラ宣教協力の発展、などです。
 同時に、現代日本の教会のチャレンジは、経済など目に見えるところで一喜一憂しやすい私達が目に見えない神に信頼し続けること、聖書の語る福音を正しく理解すること、時代の流れに流されないこと、でもあるように思えました。
 いずれにしても、様々なレベルで教会間の宣教協力が広がり深まっていき、救われる者が多く起こされ、海外へ働き人が遣わされていくことを祈らされます。OMF日本委員会の為にもお祈りをありがとうございました。新しく専門職ワーカーが受け入れられました。(庄一郎)
 J.O.フレイザーの伝記のDVDの字幕校正をしました。フレイザ−がたった一人で雲南省の山の中伝道を続けていた時、霊的な攻撃を経験します。母国英国の母親から祈りのグループが生まれたとの知らせが入り、フレイザーはこの上なく力づけられました。フレイザーはこの祈りのグループに、霊的な闘いを担ってくれるよう要請し、婦人達はそれに答えて跪き、熱心に祈り始めました。不毛の地を後にして別の宣教地に向うべきではないかと考え初めていた彼が、最後と思って伝道した時、その家族が改心し、それから短期間に六百人ものリス族が偶像礼拝から生ける神に立ち返りました。フレイザーの娘は語ります。「彼の母親とその友人たちは雲南省を訪れることも見ることもありませんでした‥‥でも彼らは祈りによって霊的領域で本当に大きな変革をもたらしたのです。私たちも皆できると思うのです。」
 皆様お一人一人のお祈り、また日本各地で持たれている宣教祈祷会の力を覚えます。折しも先日届いたカンボジアのケリー師のレターから、学生たちが月に一度集まり断食と祈りの時を持ち始めたことを知りました。「私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる」主にさらに期待し求めていきたいです。皆様のお祈りを心から感謝して。(容子)

【祈りの課題】
1. 宣教の自由のない国への専門職ワーカーが新しく受け入れられました。教会訪問が祝され、祈りの友が与えられ、霊的に整えられて日本を出発できますように。
2. キリスト者学生会・世界宣教委員の方々やクリスチャン大学生たちが、世界の学生伝道のため、世界宣教のために祈ることの大切さを知り、祈り続けることができますように。

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