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2010年2月号  page1  page2


「歩むことと走ること」
グィド・ブラスキ師

共に歩むことと‥‥  エノクとノアは「神と共に歩んだ」ヘブル書十一章はこの二人が神を信じ、従った人物であるということを語っていますが、それ以上に詳しく述べていません。そこで、神と共に歩むということは、他にどのような意味があるのかを想像しつつ、考えてみたいと思います。
 誰かの先にたって、もしくはその後を歩くことに対比して、誰かと共に歩むという時に、そこには交わりが感じられます。計画や特別な目的はなく、急ぐこともなく、ただ交わりだけがあるのです。
 友人や伴侶と歩く時、私たちの心はゆったりとくつろいでいます。大事なことを話し合うこともあれば、最近話題になっていることを話したり、ただ黙って歩くこともあるでしょう。
走ること、そして‥‥  話題よりも交流そのものが重要な要素です。互いに交わりを楽しむことが何よりも先にあり、そこでは一致と同意が求められます。ライバル意識ではなくパートナーシップであり、親密さがあります。
 また歩むこととは別に、ヘブル書の作者は「レースを走ること」についても書いています。パウロもこの表現を信仰者の人生のたとえとして何度か用いています。例えば使徒の働き二〇・二四では、レースを走り終えることを主イエスが彼に与えられた務め―つまり神の恵みの福音を証しすること―を果たし終えることに重ねて描写しています。ここには緊急性と目的、何かを達成したいという思い、目標に到達しようとする勢い、状況に屈しない決意を感じます。
 パウロにとってレースを走ることは、神の恵みを経験し理解するようになって以来、生きる目的でした。人生そのものよりも重要な目的となったのです。彼にとって、「生きることはキリスト、死ぬこともまた益」だったからです。
分かち合い、次に手渡すこと  この意味において、神の恵みは私たちの人生の力の源、生きる目標、さらにスタートラインでもあり、ゴールでもあるのです。
 さらにゴールは新たなスタート地点でもあります。来るいのちでは、今までとは異なり、神が、その衣を汚さなかったサルデスのキリスト者たちに約束されたように、「彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む…」のです。
 そこでは私たちはもう走ることはありません。最初から全てを可能にして下さったお方と完全な交わり、完全な理解のうちに共に歩むのです。
 私たちの多くは歩くよりも走ることの方を好み、歩むことと走ることは、互いに相容れないことであるかのようにも思われます。悲しいことですが、それが同僚間のあつれきであったり、神からの承認を得たいという思いであったり、又は、互いの交わりよりも功績を認められたいという願いであったり、派手なパフォーマンスによって人々を感心させたいという思いとなったりして、私たちを必要以上に多くのプロジェクトや活動にのめりこませてしまうのです。
 目に見える身体を持つ私たちは、目に見えない神との交わりよりも、目に見える物事に没頭する方が、容易なのかもしれません。それでも信仰者である私たちは、その両方を完璧な調和をもって行なうようにと召されています。
 その鍵となるのは神の恵みです。神と交わる恵み、そして神について人々に伝えるために与えられる恵みです。息をのむような栄光の神の恵みは、現実に私たちが神と共に歩むことができるようにして下さるのです。
 そしてすばらしい神の恵みによって、もはや罪人ではなく神の息子・娘とされた私たちは、このお方のために走る者とされるのです。


「義憤の祈り」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

年末最後の祈祷会で真剣に聖書を読んでいる教会員。 昨年末、最後の祈り会で。「さて、これで祈りの課題は最後ですね。」と主人が聞いた時、「先生、私今怒りに怒ってるんです。クリスチャンと名乗っていながら賭け事している人達、天から爆弾でも落ちてきて一掃して欲しい。そう祈っているんです。本当に。」怒り心頭のF姉。顔を真っ赤にして過激な言葉を語るのだ。
「私も同じよ。まったくそうして欲しいわね。」と同意するY姉。「それは傑作だわ。そういうことでもないと、賭け事を止める人などいないかもねぇ。」と笑って言うJ姉。「神様の名を汚している人がこの教会にはいっぱいいる。恥ずかしい。」とN姉が落胆気味に加えた。F姉の怒りは自分の夫に向けられてもいる。十月に長期出稼ぎから帰ってきて一度も礼拝に出席していない夫は、近所の暇な友達と賭博に明け暮れている。クリスマス前に「結婚セミナー」に夫婦で出席し、恵まれて帰ってきた矢先のことだった。F姉とすれば、これで夫が少しでも反省して教会生活へ戻ってくるかも、と期待したのだろう。F姉は悲しみと怒りの真っ只中にいる。(たまみ)
年末最後の祈祷会で。タイ北部は2月中旬ころまで寒いです 過去十年、八ヵ所のミェン族の村に新しい礼拝堂が建った。八箇所で新規開拓伝道が行われたわけではない。創立四十年から二〇年の教会が新会堂を建てただけだ。けれども単なる建物と聖霊を宿す新生した人々の集まりの違いを理解している人は少ない。このままでは十年後礼拝堂にキリスト者が何パーセントいるか心細い。八教会中、会堂建築後、会員の増えた教会は四、減った教会が四。八教会中、聖書学校を卒業した専任の牧師がいる所は二箇所。
タンマジャーリク教会に偶像販売、酩酊、賭博、喧嘩が蔓延していることは過去何度かに渡ってお知らせし、祈っていただいている。牧師はいない。十二月のクロンラーン教会の献堂式に出席して刺激を受けたタンマジャーリク教会の代表役員は、自分のところでも新しい会堂を建てるべく献金を募り始めた。偶像販売、賭博などを放置したまま。
週二回夜の聖書研究祈り会に来るクリスチャンは七人の女性。彼らは、教会員の罪を見て悲しみと憤りを覚えながら彼らの回心と新生のために祈っている。そして建物よりも先に、聖書を正しく教えることができるミェン族の牧師が与えられるように祈っている。(達朗)

【祈りの課題】
1. タンマジャーリク村には賭博、酩酊、偶像販売が蔓延しています。霊的に生まれ変わっていないと思われる教会員が少なからず影響を受けています。主を愛する少数の教会員たちは心を痛め悲しみと義憤を覚えながら祈っています。同教会のリバイバルのためにお祈りください。
2. 6月に一時帰国の予定です。私たちの不在でも大学のミェン語識字教育サークルが活動を続けられるようリーダー養成のために、また何らかの公認が与えられるようにお祈りください。精力的にミェン語物語を執筆しているガオフェイ兄にさらに知恵と力が与えられるように。


「宣教におけるチームワーク」
日本 佐味湖幸

新しくOMF日本委員会委員になってくださった徳永大先生と 「この人たちは、イエス様がどのような方か個人的に知っていたはずです。ですから、このイエス様のもとに、中風で苦しんでいる友人を連れていこうという信仰があったのです。」十二月、モービライゼーションの国際ディレクターであるフラー先生が日本に来られ、台湾と日本でモービライゼーションと短期宣教プログラムの分野で働く私たちに訓練会をしてくださいました。ディボーションの時間に、マルコ二章の中風を患った人をイエス様のもとに担いできた友人たちのところから、宣教におけるチームワークということについて語ってくださいました。
モービライゼイション&短期宣教プログラム担当者訓練会 「この四人にはイエス様に対する信仰があった。四人は自分ではイエス様の所に歩いて行けない病の友人を一緒に担いで行った。しかし、ここでこの四人がそれぞればらばらの方向に歩き出したらどうなっていたか?互いに息を合わせ、協力して同じ方向に動かなければ、友人をイエス様のもとに連れていくことは出来なかった。」「宣教の働きはまさしくこの通り。現地で働く宣教師だけでは、人々をイエス様のもとに運べない。祈りにおけるとりなし手や捧げてくださる方々、OMFのリーダー達や同労者、様々な人たちとのパートナーシップ、協力関係が必要だ。そして、そのことによって神の栄光があらわされるのである。」
十二月は幾つかの教会をお訪ねし、牧師先生たちとOMFについてお話をする機会が与えられました。主の世界宣教の業が進められるためには、召しを受けた者、送り出し、支える教会、幻と戦略をもって宣教を進める宣教団体などが、互いに理解し、一致協力して進んで行くことが大切です。神の栄光を仰ぎ、共に神を賛美するために。

【祈りの課題】
1. 2月9日から15日、ニュージーランドで行われる日本人キャンプに日本から3人の方々と奉仕に行きます。3人の方々は子供プログラムを担当し、私はメッセージ(1回)と、分科会の担当をします。このキャンプの後、一人の方は当地におけるディアスポラ邦人宣教の視察をされます。守りと祝福のために。
2. 短期宣教プログラムに関心をもって連絡を取ってくる人が増えています。主によって備えられ、ふさわしい時にふさわしい地に送り出せるように。


「現地に根ざした自立した教会へ」
カンボジア 今村裕三、ひとみ

クリスマス集会でメッセージを語るセイハー師 十二月はいくつかの教会のクリスマス集会に参加しました。クラチェ教会では以前よりも皆が楽しんで準備をし、集会の後片付けも協力してやっていました。「平和」だなあと思いました。以前は、クリスマスの度に分裂や大きな問題が起こっていた教会です。今の教会員は、お互いをライバル視したり、人間関係のギスギス感がなく、また、最近救われた方も多く加わり、本当に心から喜んでクリスマスのお祝いをしているように見えました。また、教会に住んでいるセイハー牧師家族に子供(シモンくん)が与えられ、隣近所への証に用いられています。キリスト教は嫌いですが、シモンくんと遊ぶために近所の夫人や子供たちが教会に毎日のように来ています。外国人が居なくなり、カンボジア人牧師家族が教会に住むことで、もっと深いレベルでの地域宣教が進んでいるように思えます。クラチェ教会が益々カンボジア人の教会になっていることの故に主に感謝しました。(裕三)
アンコール遺跡群のあるシェムリアップ教会の創設者R氏と初めて出会った時、心の壁を感じ話しづらさを覚えました。その後、R氏のポル・ポト時代(当時十一歳)の経験をつづった本を読みました。あまりのすさまじい体験は、私にとって寝られなくなるほどでした。
平和な家族が、ある日突然、住んでいる所を追い出され、差別・飢え・暴力・病気・強制労働に襲われます。また、いつ誰に密告されるかわからないという、疑心暗鬼の毎日を過ごすだけでもどれほど大変だったでしょう。とうとう、R氏は家族全員を目の前で殺され、家族の返り血を浴びた彼は、家族の死体の上に倒れこみ、死んだと勘違いされ、生き延びます。その後の人生も壮絶を極めます。
幸いなことに彼は、カナダに亡命でき、そこでクリスチャンになり、自分の心の傷とどう向き合うかを学ぶことも出来ました。家族を殺した人にも会いに行き、「殺される」と怯えるその人を許してあげ、福音を語ることも出来ました。しかし、彼の心の闇はまだ深いようです。
読んでいく中で、R氏は悲惨な人生を歩んだけれど、まだ幸せであったかもしれない、とも思いました。彼は家族と信頼できる良い関係を持っていたからです。家族を密告して殺した人、人をたくさん殺し過ぎて感覚の麻痺した人などは今どうやって生きているのか?と思いました。
現在カンボジアは経済的に非常に発展し、まるで過去の傷がないかのように感じます。しかし、その傷は確かに今でもうごめいている、そのことを忘れてはならないと思いました。
R氏の心の癒しのため、シェムリアップ教会の聖書に基づいた成長のために、そしてカンボジア人の心の痛みの癒しのためにお祈りください。(ひとみ)

【祈りの課題】
1. カンボジア教会交友会の牧師・リーダーの霊性のために。よき牧者として整えられ、御言葉に立った教会を建て上げられますようにお祈り下さい。今年の牧師・リーダー訓練会の準備のために。
2. シエムリアップ教会(カンボジア北西部)のために。中心的な群れのプロユット教会のラドー長老(27才)とナロット兄のために。コックプレイ教会(シエムリアップから西)のミーアト兄の働き(2つの村で開拓中)のためにもお祈り下さい。

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