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2014年6月号  page1  page2


「20世紀初頭中国の知られざるリバイバル」
―トニー・ランバート師―

かつてハドソン・テーラーが訪れた中国の教会で  「中国はいまだかつて真のリバイバルを経験したことがない」―最近私はこう述べた記事に出会いました。しかしここ一世紀余りの中国教会の歴史を読むと、まさに恵みによって聖霊が教会に降臨した出来事が、中国で何回か起きていたことが示されています。また、この三十年余の間に、中国のクリスチャン人口がかつての百万から、少なく見積もっても七千万人に達していることは、聖霊の大いなるわざでなくして何なのでしょうか?
 
 「リバイバル」をどう定義するかでこの答えは大きく変わってきます。中には「リバイバル集会を開く」と、ゆるい定義でこの言葉を使う伝道者たちもいます。しかし私には、リバイバルは人間が頭で考えてリバイバルのために必要と思われるものをお膳立てし、その最後の仕上げとして聖霊が来られるのを当然のように期待する、という人間主体の現象とは思えません。むしろ真のリバイバルとは神の主権的お働きです。説教や祈りなど日常の恵みの手段を聖霊が取り扱われ、なまぬるかった教会にまず熱心さが復活し、次に未信者の回心が起こり、周囲の社会に影響をもたらす、といった大変大きな結果が与えられるのです。このように意味をさらに限定したとしても、中国教会には真のリバイバルが起きていたと私は考えます。
 
 中国で最も古いリバイバルの記録は、二十世紀はじめの数十年、チャイナ・インランド・ミッション(以下CIM)のイギリス代表を勤めたW・H・オルディス師の自伝に見られます。オルディス師はCIM宣教師として、中国西部の四川省パオニンを拠点に働いていました。ここではアンドリュー・マクビーズ師の自伝から以下引用します。
 
 「再びパオニンに戻ってきたオルディス師夫妻は、この新たな奉仕期間が神の力とご臨在がはっきり示される時となるよう深く願っていた。有能な女性宣教師たちが神の召しに応えて、パオニンの周辺各地に派遣されており、広い地域を覆う忍耐強い祈りが続けられていた。」
 
 「中国人の(肉的な)『面子を保つ』という昔からの習性は、神を喜ばせるより、近隣の未信者たちとうまく折り合っていきたい、という願いになっていた。ある教会員たちがアヘン常習に逆戻りしたり、結婚や家族の冠婚葬祭において世のならわしに妥協するといった姿が見られた。急速に教会が拡大する中にあって、上よりのきよめと回復のわざは急務であった。宣教師たちは次第に満足できなくなっていった。このままであってはならない―絶え間ない心の痛みゆえに、宣教師たちにとって通常の礼拝や学び会はほとんど苦痛にすらなっていた。『このために私たちは続けて祈っています』とオルディス師は書いている。『それは絶え間ない祈りとなり、各人の霊的渇望は増すにつれ、さらに一つになっていきました。宣教師たちが主に願い、断固として求めていたのはただ一つ、教会のリバイバルでした。』」
 
 「そしてオルディス師はこう続けている。『リバイバルは新たな教会をもたらしました。一九一〇年、この願いのためだけに何ヶ月、いいえ何年間も積まれてきた祈りに応えて、神ご自身からのリバイバルの大いなる波が、その地区をおおったのです。 最初に神が用いられたのは、ルットレー師と同僚の中国人ウァン兄でした。・・・今も私たちの教会には、その当時初めて神の聖さと愛のうちに親しく神を知り、罪への憎悪を経験した兄姉たちがいます。また初めて同じ中国人への責任を感じ、彼らに福音を伝えるようにという神の召しを聞いた人たちもいます。キリストの十字架に導かれ、過去の奉仕の失敗をへりくだりつつ告白し、神への献身を新たにした中国人同僚を、今私は喜びと共に思い出しています。彼が神の知識において成長し、主イエスへの奉仕に励んでいることを神に感謝しています。』」
 
 「オルディス師がその時体験したことは彼の魂に消えることのない印象を残した。ケズウィックの講師として初めて招かれた時、彼はその証しをし、神の聖さが彼の魂に焼き付けられたと述べた。彼はその経験を『深い霊的な恵み、聖霊によってもたらされた本物の打破』と表現した。」
 
 「ウァン兄はその慎み深さと静かな物腰できわだつ存在だった。彼とオルディス師が三日間訪問したパーチョウでは、最初から諸集会のただ中に真の力があった。ある夜の集会で、一人のクリスチャンがルカ二十三章の磔刑の箇所を朗読した時、『神の力が降臨しました。教会はすすり泣く人々で満ちていました。そしていたる所に祈りのうちに心を注ぎだし、罪の告白をする人々の姿がありました。その夜説教をする者はなく、全てが人間の手から取り去られ、神の霊が働いておられました。』」
 
 「この神の深い臨在は三日間続き、時折ウァン兄が有益な発言をはさんだが、すべては彼の話に左右されることなく起こった。その間、ある子どもの葬儀が行われたが、現地の信者たちは教会に戻って集会を続けた。教会を満たす神の臨在に打たれた人々は、誰も最前列に座ろうとせず、誰もあえて司会に立とうとしなかった。その町の伝道者のリャオ師は最前列から少しさがった所に座り、他の人々は皆跪いた。リャオ師は祈り、歌詞を皆に一行ずつ教えながら賛美を始めた。賛美を終える前に人々は主の愛に打たれ、泣き、罪の告白をし、祈りと賛美が続いた。あたかも大きな力の波が彼らをさらい、新たないのちへと押し流していくかのようだった。」
 
 「集会はその後さらに三日間続いたが、同じことがパオニンでも起きていた。パオニンでの集会の賛美は『様々な音の断片が聞き取れるものの、一つの大きなうねりのような音楽でした。』さらにハワード・テーラー師夫人は、その高まっていく賛美の様子をこう記録している。『なんという賛美だったことでしょう!なんという主にある聖い喜び!教会の祈りは天上の音楽のようでした。低く静かに始まり、すばらしい美しさと豊かさへと上昇していくのです。実際に聞いたことがなければ、その美しさと印象深さは誰も理解できないでしょう。その賛美は完全に調和して、それぞれの魂が神の愛に向かい、神のご臨在の中にいました。静かに神と交わりを持ちながら、歌声は天上のオーケストラの音楽のように立ち昇っていったのです。』」
 
 「『新しい教会』―それがリバイバルが生み出したものだった。聖霊を通して神の住まわれる所として、魂たちが共に建てあげられた所。人の中に、その容貌に神の御姿が映し出され、日々の歩みと行いのうちにキリストが栄光を受ける姿だった。」
 
 「しかし一九一一年に文化大革命が中国全土を襲った。一九〇〇年のような流血事件は繰り返されなかったが、市民の安全を危惧した領事が、沈静化するまで国外退去を勧告した。」
 
 「リバイバルと革命―これが新たな八年間の奉仕期間に、オルディス師一家が経験した大きな出来事だった。しかし静かな革命、つまり霊的成長もまた、同僚の中国人クリスチャンたちの内に起きていた。中でもクー兄は深い霊性のゆえに輝くような存在だった(後一九一八年に彼は大執事となり、その後中国西部の司教となる)。その後中国は新たな段階を迎え、真に霊的実を生む宣教が、神の民とその子どもたちによって始まったのだ。」
 
 「ジェームス・イエン師やクー司教のような器を生んだパオニンでの密度の濃い体験は、オルディス師にとってはかりしれないほど価値のある体験であった。それと同時に、リバイバルと革命のただ中にあった彼の心にはさらなる教えが刻まれた。一九一七年ロンドンで開かれたCIM総会で、彼はそのもう一つの教え、『再構築』の必要を提唱し、その後CIMの働きの再構築によって中国人リーダーの働きの場が開かれた。オルディス師の目は宣教団体を超えた神の教会の姿を見ていたのだ。彼の提唱はその当時は預言的とも言われたが、後年人々はその成就を見たのだった。」


「勘当。ああ、感動」
北タイ・ミェン族 有澤達朗、たまみ

12人の献身者のため祈る先輩伝道者たち。  二〇一〇年八月号に「有澤家の子供たち」を報告しました。様々な事情で我が家に居候していた子たちです(実の親からの要請、神学校のインターン生、種々の実習、親が殺害された、懲戒処分など)。
 
 その中に次男、文明(フミアキ)がいました。父さん(主人)の逆鱗に触れ、断絶。あれから五年。今年二月に私たち夫婦で出席した「静まりのセミナー」(黙想の祈りを学ぶ)の中で、父さんは「赦すこと」を神様から示されていました。
 
 不思議な導きで、文明とどうしても連絡を取らなければならない事態が起き、手元にあった古い電話番号にかけてみたら、本人が出ました。母さんからの電話に文明はびっくり。「元気?また、家に来なさいね」に、「えっ、いいんですか?‥‥ありがとうございます。」
 
 四月のミェン族キリスト者青年聖書キャンプに一番下の弟を送っていた文明は意を決し、キャンプ最終日に恐る恐る様子を見に来た。父さんのワークショップに参加し、一番後ろに座った。終了後、「すみませんでした」と蚊の鳴くような声でひとこと言った文明。
 
 「私の言葉で最も重く、痛かったのは何か?」と父さんから聞かれ、涙を目に浮かべながら「霊的な父親と慕っていた先生から、『今後決してこの家の敷居を跨いではならない、二度と顔を見せるな』と言われたことです。ばっさり身を切られた、そう思いました。」答えて「五年もの間放置してすまなかった」と父さんが一言。泣くのを我慢してうなずいた文明。「あの言葉、主キリストの御名によって粉砕し無効とし、あなたを解放する」と言って父さんは、文明の肩に手を置いて祈り始めた。祈りが終った途端、文明が泣き始めた。嗚咽で体が震えていた。その文明を父さんがしっかりと抱きしめた。人が赦し、赦されるとはなんと麗しいことか。(たまみ)
 
主講師のプラユーン牧師と  たまみは感動してああいうふうに書いていますが、正確にはこういうことです。「条件を満たすまで会いに来てはならない」と私は告げたのです。彼の元々の母教会に処分を委ね、そこで十分な指導を受けたことが確認されたので、喜んで謹慎を解きました。それにしても、たまみは暖かさの賜物が与えられており、今回は文明の回復のために神様に用いられました。また文明は人並み外れて有能で、再び共に神様に仕えることができるようになったことを私たちはとても喜んでいます。四年前「只今有澤家から勘当中」の文を読んで、彼のためにお祈りくださった皆様に心から感謝を申し上げます。
 
 さて、四月号で「ミェン語識字教育の専門家になる人、将来牧師になる訓練を受けるために献身する人たちが起こされるように」とお祈りいただいた青年キャンプは、その通り祈りが聞かれました。十二人の若者が生涯、専心、神様に仕えるという明確な意思表示をしました。今後、彼らが大学進学・卒業、就職、神学校、実習、試用期間などを経て実際にミェン族教会に教職者として就任したり、宣教師として奉仕を開始する迄には、十年~二〇年掛かります。先輩牧師たちが彼らを丁寧に育み、訓練を受ける者たちも一人も脱落せず神に用いられる人々になるようにお祈りください。
 
 「この世に勝つ人」という主題で主講師を務めてくださったプラユーン牧師は、約四十年前に森本憲夫宣教師(二〇一三年八月号参照)によって導かれた方です。「森本先生ご夫妻の模範から、惜しみなく犠牲を払う生き方を学んだ」と証を伺いました。プラユーン師は六十歳を越える方ですが、ミェン族の若い人たちのレベルまで降りてきて親しく付き合ってくださいました。思春期から始まり青年期に直面する世俗の価値観や誘惑にどのように勝つことができるのか、明快に説いてくださいました。説教はしっかり聖書そのものを教える昔風の内容が濃いもので、十二人の献身者は、神が罪を嫌う光であられることに感動し応答した者たちです。
 
 関連して、取り組まなければならない課題も明らかになりました。私は、キャンプ中とその前後、四月のひと月だけで、結婚の相談を五組から受け、他に一組の懲戒処分を開始する手続きに関わりました。本来牧師がすべき働きです。若い牧師たちが教会員のため結婚前後カウンセリングを適切に行うことができるようになる訓練をする必要があります。いったいミェン語文法執筆はどうなっているのか?
 
 そんな折、誕生カードをいただきました。「現地の人々と深く関わっていることが論文に反映するように祈っています」と。目指すところをご理解くださっている方からの大いなる励まし。血と肉の詰まったミェン語文法となりますように。(達朗)

【祈りの課題】
1.6月は移動が多いです。安全と健康のためお祈りください。チェンライ県、チェンマイ県、北海道、シンガポール、メルボルンと移動する合間にも、論文執筆を続けることができますように。
2.6月8日、タンマジャーリク村ミェン教会の2~3人と、ラオスィップ村ミェン教会の1人が合同で洗礼式を行います。新しい歩みを始める兄姉に聖霊と神様の豊かな祝福が注がれますように。今回、時期を延期した数人にも救いの教理の理解が加えて与えられますように。未成年で親から許可が出なかった女子高校生イェンスィアオさんが、今後もご両親によい証しを続け、将来ふさわしい時に受洗に導かれますように。


「帰国しました」
シンガポール 佐味湖幸

3月31日空港にお出迎え下さった方々と  太陽の光って、こんなにやわらかく暖かいこともあったんだなあ‥‥と、二年間忘れていた春の陽射しを楽しんでいると、また急に肌寒くなって体にギュッと力が入ったりします。常夏のシンガポールから帰国して一か月近くが経ちます。人や場所の名前がパッと出てこないなど、まだ浦島太郎症候群の症状は少しありますが、元気にしています。皆様のお祈りを感謝します。
 
 今回の一時帰国は六か月と短いので、早速教会訪問が始まっています。六月半ばまでは、実家から通える関西の教会や神学校を訪問させていただいています。この二年間シンガポールでは、おおむね規則正しい八時半から五時半のオフィス仕事でしたが、現在デピュテーション中は、朝早くから家を出る日もあれば、夜遅く帰る日もあり、一日中外に出ている日もあれば、半日ほどの時もありと、日によってスケジュールが全く違いますので、自分の生活のリズムを整えるのに多少苦労しています。
 
9歳の姪と花見を楽しみました!  行く先々で久しぶりにお会いする方々、初めてお会いする方々とのお交わりに励まされつつも、日本の様々な社会問題を教会の内部でも見聞きし、教会がしっかりと聖書信仰に立ち、証していくことの大切さとともに大きなチャレンジも感じています。どのようにして日本の教会の益になる、また励ましになるデピュテーションをすることが出来るのか、主に問いつつ準備をする日々です。

【祈りの課題】
1.6月半ばまで関西でデピュテーションが続きます。教会の励ましとなることができますように。
2.6月20日から約3週間イギリスに行きます。ニューホライゾンズチーム会議に出席し、その後休暇をとる予定です。24年前に神学校を卒業して以来の訪英です。会議の上に主の導きがありますように。またリフレッシュして帰ることができますように。


「派遣式にて」
一時帰国中 今村裕三、ひとみ

再出発間際の母教会の宣教祈祷会での皆さまと  派遣式の当日の朝、家を出ようとして有るはずの自転車がない事にあわてました。借物でしたので全身冷や汗が出ました。思い出したのは、前日に自転車で歯医者へ行き、その後行ったスーパーで知人と出会い楽しく会話し、歩いて家まで帰ったこと。翌朝まですっかり自転車の事を忘れていました。
 
 笑ってしまう事に、派遣式で私が準備していた聖書の箇所は、イザヤ二十八章十六節、「試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない」でした。

 「カンボジアに帰ることが心配になりませんか?」ある方が心配そうに尋ねて下さいました。私は「考えても変わらないことは、あまり深く考えない様にしています」とその時答えました。実はその時、心配事は沢山ありました。

 その方が心配してくださったカンボジアの環境の辛さは、私にとって楽しみではありませんが、それ程悩みの種ではありません。心配な事は人との関係です。カンボジアでの過去十年、考え行動しているつもりですが、自分の思い通りの結果になったことは少ないです。浮き足立ち不安な思いにかられることが多かったです。

 しかし、感謝な事に私が思っていた結果より、神様の結果の方が何枚も上手である事実を何回も知りました。私は神様の働きを見ている証人であることを実感します。

 第三期、「あわてることなく」神様にのみ期待し歩める様に、あわてん坊の私のことを覚えて下されば幸いです。(ひとみ)

 約一年間の本国奉仕もあっという間に終了。四月十三日の午後、母教会の京都福音自由教会にて第三期壮行派遣式を行っていただきました。そこで証ししたものの抜粋です。

 昨年五月、シンガポールにあるOMF国際本部から日本に旅立ちました。そこで先輩宣教師からエレミヤ三十一章二十五節の御言葉を頂きました。先週は「日本に帰ってきた時は疲れていたけど、元気になってよかったね」と教会の方に声を掛けられたように、疲れ切っての帰国でした。ゆっくり休めればよいのにという思いとは逆に、多くの教会・集会からお招きいただいて忙しく日本全国を旅していました。各地の医院でお世話になりながらの旅でした。行く先々で祈り送り出していただきました。命懸けで祈りますと真剣なまなざしでおっしゃってくださった先輩牧師とも出会いました。宣教報告を通して、神様のカンボジアでの圧倒的な恵みを再経験していきました。疲れ、しぼんだ魂がこのようにして回復していきました。そして、もう一度主に押し出されるようにカンボジアに向かいます。皆さまのお祈りを心から感謝します。(裕三)

【祈りの課題】
1.カンボジアへの再適応のために。OMFや 他の宣教団体、現地の教会の様子をよく理解することができ、第3期の働きが明確にされるようにお祈り下さい。
2.続けて毎日の神様との関係が祝福の時となりますように。多忙な生活の中で、祈りの時と御言葉の黙想の時を大切にすることができますように。

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